国吉名(読み)くによしみよう

日本歴史地名大系 「国吉名」の解説

国吉名
くによしみよう

小矢部おやべ川左岸の国吉・佐加野さがの答野島とうのしま付近に位置したとみられる。「吾妻鏡」延応元年(一二三九)五月二日条によれば、国吉名地頭五十嵐惟重が北条朝時の家臣小見親家と知行について争い、執権北条泰時以下、幕府評定衆列席の場において裁かれた。惟重によれば、国吉名は承久の乱の際の恩賞として拝領した地であったが、親家が守護朝時の勢威を背景に押取ったという。親家方は国吉名のすべてが五十嵐氏領ではなく、親家方も以前から知行してきたと主張した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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