日本歴史地名大系 「国富郷・国富庄」の解説 国富郷・国富庄くんどみごう・くんどみのしよう 島根県:平田市国富郷・国富庄旅伏(たぶし)山の東麓、現在の平田市国富(くにどみ)町・西代(にしだい)町を中心とする地域を郷域とし、中世には出東(しゆつとう)郡に属した。建暦三年(一二一三)二月日の無動寺検校坊政所下文(鰐淵寺文書、以下断りのないかぎり同文書)に「国富一郷経田百町」とあり、比叡山無動(むどう)寺(現滋賀県大津市)領として不輸の地となっている。古代の出雲郡宇賀(うか)郷の南部にあたり、美談(みだみ)郷との境界あたりの開発が進み、国衙領内の別名として成立し、郡郷制の再編成によって一郷となったものであろう。そして郷内の経田一〇〇町が不輸地とされ、無動寺領として庄園化され、比叡山楞厳三昧(りようごんざんまい)院末寺の鰐淵(がくえん)寺が実質的な支配権を掌握した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by