鰐淵寺(読み)ガクエンジ

デジタル大辞泉 「鰐淵寺」の意味・読み・例文・類語

がくえん‐じ【鰐淵寺】

島根県出雲市別所町にある天台宗の寺。山号は浮浪山。院号は一乗院開創は推古朝と伝える。神仏習合により出雲大社との関係が深い。また、南朝とのかかわりも多く、後醍醐ごだいご天皇宸翰しんかんをはじめ、多数の古文書類を所蔵

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精選版 日本国語大辞典 「鰐淵寺」の意味・読み・例文・類語

がくえん‐じ【鰐淵寺】

  1. 島根県出雲市別所町にある天台宗の寺。出雲大社の背山(鼻高山)にある。山号は不老山または浮浪山。推古天皇二年(五九四)智春の創建と伝える。延暦寺初の末寺で、出雲国の叡山といわれる。紅葉の名所。鰐山(わにやま)

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日本歴史地名大系 「鰐淵寺」の解説

鰐淵寺
がくえんじ

[現在地名]平田市別所町

別所べつしよ町の中央部、北山山地の一峰鼻高はなたか山の北麓に位置する。鰐淵寺川の上流左岸にあたり、同川対岸東方、支流に掛かる浮浪ふろう滝は古くから蔵王信仰の聖地とされていた。同滝背後の洞窟は蔵王宝窟とよばれ、現在、蔵王堂がある。浮浪山(不老山とも)と号し、天台宗。本尊は千手観音薬師如来。出雲三十三観音の第三番札所。北山山地を挟んで南西には杵築大社(出雲大社)がある。同社が中世出雲国鎮守、同国一宮としての地位を固めていく過程で、当寺は同社と宗教的機能を分担、相互補完関係を結びながらその権威を高めていった。杵築大社が「国中第一之霊神」とされたのに対し、当寺は「国中第一之伽藍」(建長六年四月日「出雲国守護佐々木泰清書下」鰐淵寺文書、以下断りのない限り同文書)と称されていた。なお、寺地が当地と定まったのは一四世紀半ばのことで、それ以前は西方、現在の唐川からかわ町内にあった。また新旧の寺地である唐川(辛川)・別所の山野(宇賀郷内)は寺内と称され、のち守護不入の地となっている。

〔草創〕

寺伝によれば当寺は推古天皇二年智春の開創とされ、寺号は智春が山内の浮浪滝で天皇の眼病平癒を祈っていた時、取落した仏器を鰐がくわえてその滝の淵から昇ってきたことに由来するという。その後、三世天台座主円仁の山陰巡行によって、伯耆国大山寺とともに比叡山延暦寺の末寺になったとされる(平田市誌)。この寺伝の真偽はともかくもともと杵築大社の北東にあって弥山みせん天台てんだいヶ峰―鼻高山―旅伏たぶし山と連なる北山山地は聖なる山と考えられていた。この山中の浮浪滝を含む、のちに寺内と称された一帯はやがて蔵王信仰(熊野信仰)や密教の流布とともに、出雲国における修験道の拠点となったのであろう。蔵王宝窟を中心とする出雲国の蔵王信仰は島根半島の東西に浸透し、さらに中海・宍道湖周辺へ、そして奥出雲へと信仰圏を広めていったと考えられる。近世の地誌である「雲陽誌」によると出雲国における蔵王権現熊野権現は五四社を数え、全国的にも蔵王信仰の顕著な国といわれている。島根半島とその縁辺の日御崎社(日御碕神社、現大社町)華蔵はなくら(現多伎町)成相じようそう(現松江市)華蔵けぞう(現同上)、中海・宍道湖周辺の観音寺(現安来市)岩屋いわや(現宍道町)みね(現三刀屋町)、奥出雲の円通えんつう(現掛合町)・岩屋寺(現横田町)などは、蔵王信仰や修験の霊場に起源をもつ寺院と考えられている。

円朗ら四人の僧が蔵王宝窟に埋納した石製経筒(寺蔵、国指定重要文化財)の銘文には仁平元年(一一五一)から同三年にかけて書写した妙法蓮華経を「鰐淵山金剛蔵王宝窟」に安置した旨が記されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鰐淵寺」の意味・わかりやすい解説

鰐淵寺(がくえんじ)
がくえんじ

島根県出雲(いずも)市別所町にある天台宗別格本山。浮浪山(ふろうさん)一乗院(いちじょういん)と号する。寺伝によると、594年(推古天皇2)、智春上人(ちしゅんしょうにん)が境内の浮浪堂に天皇の眼疾平癒を祈って(あるいは当地の霊水を用いて)治したことによって開創されたという。寺名は、智春が祈願中に碗(わん)器を滝壺(たきつぼ)に落としたところ、鰐魚(ワニ)がそれをくわえて出たのによると伝える。中世には多くの寺領荘園(しょうえん)を有して寺勢盛んであったが、とくに南朝とのゆかりが深かった。出雲(いずも)三十三番札所の第3番霊場。現在、2万4000坪(約7万9200平方メートル)の寺域に根本堂、蔵王(ざおう)堂その他の堂塔がある。寺宝は多く、鎌倉時代の観音像、経筒、湖州鏡、毛利元就(もうりもとなり)画像、頼源僧都(らいげんそうず)譲状、後醍醐(ごだいご)天皇および後村上(ごむらかみ)天皇の宸筆願文(しんぴつがんもん)、名和長年(なわながとし)執達状などがあり、以上はすべて国の重要文化財に指定されている。弁慶が修行した寺とされ、10月に弁慶まつりが行われおり、また紅葉の名所としても知られる。

[田村晃祐]



鰐淵寺(わにぶちでら)
わにぶちでら

鰐淵寺

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改訂新版 世界大百科事典 「鰐淵寺」の意味・わかりやすい解説

鰐淵寺 (がくえんじ)

島根県出雲市の旧平田市にあり,山陰における代表的な天台寺院。山号は浮浪山。推古天皇の勅願により,594年(推古2)智春上人が創建したとの寺伝をもつが,もともと山内の浮浪滝を中心とする修験信仰に始まり,しだいに薬師・観音信仰も併せ,複合的信仰の場として発展,12世紀中ごろ,延暦寺末寺となることにより寺基が確立した。中世には広大な寺領をもち,僧兵も擁していた。仏像・絵画・古文書など重文級文化財を多く所蔵している。
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百科事典マイペディア 「鰐淵寺」の意味・わかりやすい解説

鰐淵寺【がくえんじ】

島根県平田市(現・出雲市)別所町にある天台宗の寺。本尊は千手観音・薬師如来。智春の開基と伝える。深山幽谷の中にあり,出雲の叡山と呼ばれた。修験道,蔵王信仰,如法経信仰の拠点であった。壬辰(692年)年銘の観音菩薩立像,山王本地仏像,一字金輪曼荼羅図,後醍醐天皇の願文など重要文化財が多数ある。また中世文書を多数所蔵する。
→関連項目出雲[市]清水寺平田[市]

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デジタル大辞泉プラス 「鰐淵寺」の解説

鰐淵(がくえん)寺

島根県出雲市にある寺院。天台宗。山号は浮浪山、院号は一乗院。鰐山と通称される。推古天皇時代、智春による開創と伝わる。本尊は千手観世音菩薩、薬師如来。紅葉の名所。

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事典・日本の観光資源 「鰐淵寺」の解説

鰐淵寺(第25番)

(島根県出雲市)
中国三十三観音霊場」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の鰐淵寺の言及

【出雲国】より

…【門脇 禎二】
【中世】
 出雲国における古代から中世への移行は,11世紀中ごろにおける中世一宮制の成立をもってその一つの徴証とすることができる。1062年(康平5)の史料に杵築大社が出雲国を代表する神社(出雲大社)として見え,かつこれ以後一国平均役による造営が行われるに至ったのがそれで,中世出雲国一宮制はこの後,13世紀初頭に〈国中第一之伽藍〉たる鰐淵(がくえん)寺との相即関係をもってその特異な形での体制的確立をみた。古代的伝統とその上に立つ在地支配秩序の固有の変革過程がそこに示唆されているといえよう。…

※「鰐淵寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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