国府・府中
こくふ・ふちゆう
古代の但馬国府(国衙)に由来する地名。円山川左岸の国分寺・水上・松岡・土居・府中新・府市場一帯をさしたと考えられる。府中は符中とも記した。正応二年(一二八九)五月日付の僧快円・源有家連署父母遺領等配分状案(祇園社記続録)中に「但馬国国府」の播磨国広峯社(現姫路市)の檀那が記される。観応二年(一三五一)九月、幕府方に属した小佐郷(現八鹿町)地頭伊達朝綱は、「国分寺」に参陣したあと、九月二七日の府中合戦には搦手に馳せ向い、日置河原を河渡りして敵治田彦次郎を城中に追い籠め、「一木戸」に攻め入っている(同月三〇日「伊達朝綱軍忠状」南禅寺文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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