日本歴史地名大系 「国府関村」の解説 国府関村こうぜきむら 千葉県:茂原市国府関村[現在地名]茂原市国府関・緑(みどり)ヶ丘(おか)芦網(あしあみ)村の北に位置し、村内を伊南房州通(いなんぼうしゆうどおり)往還が通る。北東部を豊田(とよだ)川が流れる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に国符関村とみえ、高七三九石。寛永三年(一六二六)旗本永井直貞に国府関村七三九石余が宛行われた(知行宛行状)。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高七三九石余、旗本永井二氏の相給で、家数一一〇。村高と領主は以後変化なく幕末に至ったと思われる(旧高旧領取調帳など)。天保一二年(一八四一)の家数一一〇(大和久家文書)。享保一一年(一七二六)領主の永井二氏が一千四四六坪の大堰の浚普請の見積りを許可、計画では人足一千五〇〇人、扶持米は二人の領主が一〇俵余と七俵三斗余ずつをそれぞれ負担するものであった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by