土作村(読み)つちづくりむら

日本歴史地名大系 「土作村」の解説

土作村
つちづくりむら

[現在地名]中条町土作

胎内たいない川右岸にあり、東は横道よこみち村、西は高野たかの村に接する。集落は上土作・下土作からなる。地元では「つぢづくり」「どさく」ともよぶ。慶長三年(一五九八)の村上頼勝知行宛行状(松嶋一男氏蔵)に「くろ川土作村」とみえ一〇〇石が松島太兵衛に宛行われている。正保国絵図では二二〇石余。村上藩領に属し、宝永六年(一七〇九)以降幕府領。万治二年(一六五九)検地帳(土作区有文書)によれば里黒川組に属し、高二〇七石五斗余・田一三町一反三畝・畑屋敷四町一畝余・新田八反一畝余、うち屋敷は五反九畝余で名請人は一六名。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む