胎内川(読み)たいないがわ

日本歴史地名大系 「胎内川」の解説

胎内川
たいないがわ

飯豊いいで山系の西、標高一三三一・五メートルの藤十郎とうじゆうろう(現黒川村・新発田市)に源を発し、門内もんない(一八八七メートル、現黒川村)から流れ出る頼母木たもき川を合せて北流する。宮久みやひさ(現同上)付近で鹿また川を合流し、櫛形くしがた山脈蔵王ざおう山塊の間のたるはし(現同上)を頂点にして流れ下り、扇状地を形成して日本海へ注ぐ。扇状地では一部伏流となり、胎内くぐりと俗称される。全長三二・七七キロ。明治中期までは扇状地を蛇行し、高畑たかばたけの字砂崩すなくずれ付近で直角に曲がって北へ流れを変え、あら川に合流して日本海に注いでいた。そのため流路は不安定で、洪水が頻繁に起こった。

仁治二年(一二四一)一一月一四日の津村尼譲状案(山形大学所蔵中条家文書)には「たいのかハ」とみえ、奥山おくやま高野たかの条と政所まんどころ赤川あかがわの境が川の北端に決められている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「胎内川」の意味・わかりやすい解説

胎内川
たいないがわ

新潟県北部を流れる川。源を飯豊(いいで)山地の二王子(におうじ)岳連峰に発し、上流は前山丘陵に並走して胎内渓谷の景勝地を形成する。谷口の断層崖(がい)下には模式的な扇状地が発達し、高畑(たかばたけ)あたりで蒲原(かんばら)砂丘に遮られ、かつては砂丘沿いに荒川に合流していたが、現在は明治年間に開削された高畑―笹口浜(ささぐちはま)間の分水路で日本海に注ぐ。延長30キロメートル。上流の胎内渓谷は飯豊山の登山口で、1959年(昭和34)から県営胎内発電計画が進められ、第1、第2ダムができて最大出力1万3000キロワットの発電所が完成し、急激に観光化が進んだ。渓谷美と人工美に優れ、胎内二王子県立自然公園に指定されている。

 渓谷入口には全国植樹祭が行われた胎内平(だいら)や樽ヶ橋観音(たるがはしかんのん)があり、観光施設も完備され県下有数の行楽地になっている。もと掘抜き井戸の自噴が名物であった胎内扇状地は胎内市中条(なかじょう)地区の化学工業都市の発展で湧水(ゆうすい)は枯渇し、河口の砂丘地帯は中条ガス田開発がこれにかわり、日立製作所などの進出で県北ガス化学コンビナートが形成されている。

[山崎久雄]

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