土室庄(読み)はむろのしよう

日本歴史地名大系 「土室庄」の解説

土室庄
はむろのしよう

「長秋記」保延元年(一一三五)八月一四日条に、皇后宮権大夫源師時らが山城石清水いわしみず八幡宮の放生会詣に際し宿院極楽寺に着いたとき、「津州真上・土室・田部三庄調送酒肴」とみえる。三庄は翌日にも別当要請で酒肴を調進しているが(同書)、この土室庄は保元三年(一一五八)一二月三日付官宣旨(石清水文書)にみえる宮寺領摂津国土室園と同じものと思われる。

観応三年(一三五二)には、法金剛院領土室庄が現れるが(同年七月日付「土室庄雑掌盛円訴状」法金剛院文書)、これは同寺を再興した鳥羽天皇中宮待賢門院によって施入された鳥羽御領庄園群の一庄で、土室庄雑掌盛円訴状によると、正安四年(一三〇二)一〇月一七日後二条天皇が京都仁和寺に法金剛院領として寄進したもので、元弘三年(一三三三)一〇月一一日の後醍醐天皇綸旨で安堵され、同年一二月一四日雑訴決断所がこれを確認している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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