日本歴史地名大系 「土室庄」の解説
土室庄
はむろのしよう
「長秋記」保延元年(一一三五)八月一四日条に、皇后宮権大夫源師時らが山城
観応三年(一三五二)には、法金剛院領土室庄が現れるが(同年七月日付「土室庄雑掌盛円訴状」法金剛院文書)、これは同寺を再興した鳥羽天皇中宮待賢門院によって施入された鳥羽御領庄園群の一庄で、土室庄雑掌盛円訴状によると、正安四年(一三〇二)一〇月一七日後二条天皇が京都仁和寺に法金剛院領として寄進したもので、元弘三年(一三三三)一〇月一一日の後醍醐天皇綸旨で安堵され、同年一二月一四日雑訴決断所がこれを確認している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報