コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

土居通夫 どい みちお

2件 の用語解説(土居通夫の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

土居通夫 どい-みちお

1837-1917 明治-大正時代の実業家。
天保(てんぽう)8年4月21日生まれ。伊予(いよ)(愛媛県)宇和島藩士の子。維新後,司法官をへて明治17年鴻池(こうのいけ)家の顧問となり財界にはいる。以後大阪電灯,長崎電灯,京阪電鉄などの社長を歴任した。27年衆議院議員。28年大阪商業会議所会頭。大正6年9月9日死去。81歳。本姓は大塚。通称は保太郎,彦六。俳号は無腸(むちょう)。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

土居通夫

没年:大正6.9.9(1917)
生年:天保8.4.21(1837.5.25)
明治大正期の実業家。伊予国(愛媛県)宇和島藩士大塚南平祐紀,志津子の6男。幼名万之助,元服して彦六。4歳のとき同藩士村松清武の養子となったが,23歳で養家を去り,父の母方の姓土居を名乗った。少年時代には藩校明倫館で漢学を学び,窪田派田宮流の剣術を習得。慶応1(1865)年勤皇を志して脱藩,土肥真一と改名して大坂に出,高利貸高池屋三郎兵衛家に奉公しながら,勤皇運動にかかわる薩摩藩士田中幸助(のち中井弘)らと交わる。鳥羽・伏見の戦に際し,後藤象二郎配下で活躍,在坂宇和島藩のため糧米確保などの働きがあった功を認められ,帰藩を許された。 王政復古後,大阪鎮台長官となった宇和島藩主伊達宗城に従うも,ほどなく外国事務局大阪運上所に勤務,これを統轄していた五代友厚の知遇を得,明治2(1869)年には大阪府権少参事となった。同5年司法省に出仕,兵庫裁判長,大阪上等裁判長,大阪控訴裁判長などを歴任,同17年退官までに井上馨,伊藤博文,大隈重信,大久保利通らと交わり政界で人脈を築くと同時に,五代友厚,住友家,鴻池家ら大阪財界ともつながりを持った。 裁判官退官後,鴻池善右衛門家の顧問となり,家憲を制定するなど同家の家政改革に尽力するとともに,鴻池家が関係していた諸事業に参画。すなわち同21年大阪電灯会社社長になったのを皮切りに,日本硝子製造,長崎電灯,日本生命,大阪毎日新聞,明治紡績,大阪実業銀行,阪鶴鉄道,大阪馬車鉄道,宇治川電気,大阪染織,浪速電車軌道,大阪土地建物,大阪貯金銀行,京阪電鉄など多くの会社の重役となった。同27年衆院議員。同28年に大阪商業会議所会頭となり,以後死亡するまで22年間にわたってその職を務めた。そのほか堂島米穀取引所理事長,大阪銀行取引所理事長,日本電気協会会長,大阪実業協会会長などの要職を歴任し,明治中後期における大阪財界の最有力指導者として活躍した。

(宮本又郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

土居通夫の関連キーワード伊予伊予蝋阿部光之助井上要浦和盛三郎城戸豊吉小林信近酒井宗太郎堀部彦次郎矢野七三郎

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

土居通夫の関連情報