日本歴史地名大系 「土師百井村」の解説 土師百井村はじももいむら 鳥取県:八頭郡郡家町土師百井村[現在地名]郡家町土師百井池田(いけだ)村の南西、私都(きさいち)川沿いに位置し、南に石田百井(いしだももい)村がある。古代の八上(やかみ)郡土師郷(和名抄)の遺称地とされ、白鳳時代に創建されたとみられる土師百井廃寺がある。中世には土師庄が成立していた。藩政期の拝領高は一八五石余。本免五ツ九分。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「因幡誌」によると高二二〇石余、竈数二〇余。「因幡志」では家数二一、産土神は福本(ふくもと)村の白兎(はくと)大明神。産物は階田紙・鼻紙。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳によると生高二三一石余、竈数二九。安倍氏の給地があった(給人所付帳)。川役米五斗余を課されていた(藩史)。草山に不足する当村は越路(こいじ)村(現鳥取市)に入会っていたが、享保六年争論が発生している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報