土師庄(読み)はじのしよう

日本歴史地名大系 「土師庄」の解説

土師庄
はじのしよう

遠賀おんが川水系泉河内いずみごうち川中流域の現土師一帯にあった安楽寺(太宰府天満宮)領庄園。古代穂浪ほなみ土師郷(和名抄)の郷名を継承。万寿元年(一〇二四)安楽寺往生おうじよう院に「土師庄百十七丁二百卅歩」が寄進され、同寺の曲水宴の供料に充当されたという。なお当庄は同寺宝塔院領としてもみえるが、時期は不明(安楽寺草創日記)。永長元年(一〇九六)頃より同寺は当庄に隣接する観世音寺(現太宰府市)領「碓井封山口村」(現碓井町)の領有権を主張して相論を繰返し(永長二年六月二八日「安楽寺留守所牒案」根岸文書/平安遺文四など)、承徳二年(一〇九八)には安楽寺の「権勾当随身・土師庄司等」が「宮寺御領山口薗桑」を採取したとして碓井封民二人を拘束している(同年四月五日「安楽寺牒案」同上)


土師庄
はにしのしよう

古代の土師郷(和名抄)に成立した荘園で、近世土師はぜ村に比定される。左大臣藤原頼長の所領であったが、保元の乱後、後白河天皇により没収され後院領となった。「兵範記」保元二年(一一五七)三月二九日条に引く同月二五日付太政官符に「故左大臣領」として「丹波国弐箇処 曾我部庄 土師庄」とみえ、「件庄牧等、没官先畢、宜為当院領、於官物者、弁済国庫、至地利者、徴納院家」とある。その後は高階栄子(丹後局)に譲られており、建久三年(一一九二)三月日付後白河院庁下文案(大徳寺文書)に、「可永停止大嘗会・造野宮・宇佐勅使・住吉造宮・造内裏・御願寺塔以下勅院事国役并国郡司甲乙諸人等妨、令従二位高階朝臣(栄子)家知行京中諸国領地庄薗事」として列挙される荘園のうちに「丹波国土師庄院御祈長日不動護摩用途」とあり、

<資料は省略されています>

と記され、勅事・院事や国役などの停止と二位家こと高階栄子の子孫の相伝領掌が確認されている。


土師庄
はじのしよう

古代の八上やかみ郡土師郷(和名抄)に成立したとみられる庄園で、現郡家町土師百井はじももい一帯に比定される。暦応三年(一三四〇)九月二〇日の後村上天皇のものとみられる綸旨写(賀茂社諸国神戸記)に「鴨社領因幡国土師庄」とみえ、神服用途を負担する京都下鴨社(鴨御祖社)社司遷替領で、三所権禰宜に安堵されている。なお寛治四年(一〇九〇)七月一三日、下鴨社に御供田として当庄田地四〇町などが寄進されている(「賀茂社古代庄園御厨」賀茂神社文書)。貞和三年(一三四七)七月二一日、当庄公文職の替りとして近江国下笠しもがさ(現滋賀県草津市)地頭職などが近江坂本さかもと日吉社に寄進されている(「足利尊氏寄進状写」桂林集所収秦公治所蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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