石田百井村(読み)いしだももいむら

日本歴史地名大系 「石田百井村」の解説

石田百井村
いしだももいむら

[現在地名]郡家町石田百井

土師百井はじももい村の南、私都きさいち川の南岸に位置し、南は八東はつとう川を隔てて破岩われいわ(現船岡町)。元禄一四年(一七〇一)の変地其外相改目録(県立博物館蔵)に、正保国絵図正保郷帳には志田百井村と載せたが、元禄国絵図・元禄郷帳作成に際して石田百井村と正したとある。拝領高は三五〇石余。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「因幡誌」によると高四一八石余、本免五ツ七分、竈数二五。「因幡志」では家数三九。産土神は破岩村落岩おちいわ大明神と宮谷みやだに村の加茂大明神、坂根さかね(現河原町)八幡宮の三社入組。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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