朝日日本歴史人物事典 「土御門院小宰相」の解説
土御門院小宰相
生年:生年不詳
鎌倉時代の歌人。従二位藤原家隆の娘。はじめは土御門天皇に,承久の乱(1221)を経て,その母承明門院在子(後鳥羽院中宮)に仕え承明門院小宰相とも呼ばれた。さらに在子出家ののちは,後嵯峨上皇に出仕した。嘉禎2(1236)年『遠島御歌合』,宝治1(1247)年『百三十番歌合』,同2年『宝治百首』,建長3(1251)年『影供歌合』,康元1(1256)年『百首歌合』,文永2(1265)年『十五夜歌合』などに出詠。御子左派と反御子左派の中間派に属していたと思われるが,真観選の『秋風集』に選歌されたり,反御子左派に父伝来の歌書類を見せていることなどから,反御子左派に近かったか。<参考文献>福田秀一『中世和歌史の研究』
(谷知子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報