ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クレメンス4世」の意味・わかりやすい解説
クレメンス4世
クレメンスよんせい
Clemens IV
[没]1268.11.29. ビテルボ
フランス出身の第183代教皇(在位 1265~68)。本名 Gui Foulques; Guido Fulcodi。フランス王ルイ9世(在位 1226~70)に仕える法学者だったが,1256年頃に司祭となり,のちにルピュイ司教(→ルピュイアンブレ),ナルボンヌ大司教,枢機卿(→カーディナル)に任命され,1265年2月に教皇に選出された。1世紀続いた教皇とホーエンシュタウフェン朝との争いでは,先代の教皇ウルバヌス4世(在位 1261~64)の計画を引き継いだ。ホーエンシュタウフェン家のシチリア王マンフレート(在位 1258~66)に対抗するため,ルイ9世の弟アンジュー伯シャルルをシャルル1世としてナポリとシチリアの王にした。シャルル1世は 1266年にマンフレートを討ち,1268年に皇帝派(→教皇派と皇帝派)のシュワーベン公コンラディンを破ってホーエンシュタウフェン家を消滅させた。しかしこのイタリアとドイツの内政への介入が教会に平和をもたらすことはなく,シャルル1世の創始したアンジュー朝(→アンジュー家)は教皇にとって新たな脅威となった。死後,教皇位は 3年近く空位だった。
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