日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
シモン・ド・モンフォール
しもんどもんふぉーる
Simon de Montfort, Earl of Leicester
(1208ころ―1265)
イギリスの貴族。ヘンリー3世の治世に王制改革運動の指導者として活躍した。フランスの名門の出であるが、祖母の縁でイギリス貴族(レスター伯)の地位を得た。王の妹と結婚して有力となり、フランス(ガスコーニュ)の地方長官に任じられたが、辞任後は王の浪費に不満を抱く諸侯の先頭にたち、1258年「オックスフォード条項」を王に認めさせて15人の貴族による最高行政会議を設置した。しかし、王の違約から戦乱(諸侯(バロン)戦争)となり、王を捕らえたシモンは国の統治権を一時握ったものの、65年8月皇太子エドワード(後の1世)の反撃を受けて敗死した。同年初め、彼が、貴族らに加え新たに州代表の騎士、都市代表の市民をも招集して開いた議会は、しばしば議会制の起源をなしたものといわれるが、この制度が確立したのは、代表制が慣行となり二院制が成立する14世紀前半のことである。
[松垣 裕]