ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウルバヌス4世」の意味・わかりやすい解説
ウルバヌス4世
ウルバヌスよんせい
Urbanus IV
[没]1264.10.2. ペルジャ
トロア出身の第182代教皇(在位 1261~64)。本名 Jacques Pantaléon。貧しい家庭に育った。パリ大学教授に就任して教会法を教え,そののちベルダン司教,エルサレム総大司教を歴任,枢機卿(→カーディナル)を経験しないまま教皇アレクサンデル4世(在位 1254~61)の死後,1261年8月に教皇に選出された。イタリアにおける教皇の権力の回復と,社会不安が高まっていたローマの秩序回復に努めた。外交では,脅威となっていたホーエンシュタウフェン朝の支配からシチリア王国を解放するため,フランス王ルイ9世(在位 1226~70)の弟アンジュー伯シャルルをシチリア王にしようと試みた。1264年,暗殺を恐れて避難したペルジャで死亡したが,後代の教皇クレメンス4世(在位 1265~68)が交渉を引き継ぎ,1265年シャルルがシチリア王シャルル1世として即位した。また,リエージュの司教により地方の祭儀として 1246年に始まった聖体の祝日を全教会の祝日として制定した。ドイツの吟遊詩人,タンホイザーが背教行為に対する償いを望み,ウルバヌス4世から許しを得ようとしたとする伝説も残されている。
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