土橋城跡(読み)どばしじようあと

日本歴史地名大系 「土橋城跡」の解説

土橋城跡
どばしじようあと

[現在地名]大野市日吉町

日吉ひよし神社のある小丘付近に比定される。亥山いやま(居山城)ともよばれた。「太平記」巻二一(任遺勅被成綸旨事付義助攻落黒丸城事)に延元四年(一三三九)七月五日「堀口兵部大輔氏政、五百余騎ニテ居山ノ城ヨリ出テ、香下・鶴沢・穴間・河北、十一箇所ノ城ヲ五日ガ中ニ攻落シテ、降人千余人ヲ引率シ、河合庄ヘ出合ハル」と記されるが、南朝方であった堀口氏政は平泉へいせん(跡地は現勝山市)の援助も得られず、興国二年(一三四一)坂井郡鷹巣たかす(跡地は現福井市)に逃れて当城は落城したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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