朝日日本歴史人物事典 「朝倉景鏡」の解説
朝倉景鏡
生年:生年不詳
戦国時代の武将。景高の子で朝倉義景の従弟。式部大輔。義景から越前(福井県)大野郡の支配を委ねられていたが,天正1(1573)年,義景が織田信長に攻められ,一乗谷(福井市)から大野に逃れると,これを裏切って切腹に追い込み,信長に降伏した。朝倉氏はここに滅亡し,景鏡は信長に許されて姓を土橋,名を信鏡と改め,その後も大野郡の支配に当たった。しかし,翌年蜂起した越前一向一揆の攻撃対象となり,2月に始まった合戦では平泉寺衆徒と共に戦ったが,村岡城(勝山市)にこもった一揆勢に敗れて自害した。「日の本に隠れぬその名改めて果ては大野の土橋となる」という狂歌に,越前での評価が示されている。
(河村昭一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報