土甲呂町(読み)とごろまち

日本歴史地名大系 「土甲呂町」の解説

土甲呂町
とごろまち

[現在地名]大木町福土ふくど

土甲呂村西部、久留米柳川往還沿いの在郷町。慶長八年(一六〇三)田中吉政が久留米柳川往還を整備した際に成立した。同年一〇月、「ところ町」が町立てされ、諸公事免除とされている(同月一七日「田中吉政諸公事免許状」田中興廃記)。吉政の没後、その遺徳をしのび「御免地祭り」が催され、今も吉政を祀る吉政社がある。正保四年(一六四七)の大小道之帳には土甲呂町とみえ、上野うえの(現久留米市)から一里五町、大角おおずみ町まで二町、江上古えがみふる(現城島町)まで一二町、かね(現大川市)まで一里一五町二〇間。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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