在家塚村(読み)ざいけつかむら

日本歴史地名大系 「在家塚村」の解説

在家塚村
ざいけつかむら

[現在地名]白根町在家塚

御勅使みだい川扇状地の中央部に位置し、東は西野にしの村、南は沢登さわのぼり(現櫛形町)、西は飯野いいの村、北は百々どうどう村。村内中央を駿信往還が南北に走り、村の南境を高尾たかお(現櫛形町)への道が東西に通る。「一蓮寺過去帳」によれば、享禄天文(一五二八―五五)頃の五月一一日供養の時阿弥陀仏に「在家塚」と注記される。天正一〇年(一五八二)八月九日、石坂勘兵衛は当地内二貫五〇〇文を含む本領五六貫文を宛行われた(「徳川家印判状写」八王子千人頭申伝書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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