地理上の発見
ちりじょうのはっけん
15〜16世紀,ヨーロッパ人にとっての未知の大陸や新航路を発見したことの総称
封建社会の完成にもとづく西欧の対外発展の一つの現れで,これを可能にしたのは地理学・航海術など科学の発達による。先進絶対主義国家ポルトガルのエンリケ航海王子のアフリカ西岸地方の探検に始まり,1488年バルトロメウ=ディアスの喜望峰発見,98年ヴァスコ=ダ=ガマのインド航路発見,92年コロンブスのアメリカ大陸到達,1519〜22年のマゼランの世界周航などがある。その結果,それまで東方貿易を支えた南ドイツ・イタリア諸都市の衰退,重商主義による海外植民地経営,価格革命,封建貴族・騎士階級の没落,世界観の拡大変革などがあり,ルネサンス・宗教改革とともに近代社会成立の一大契機となった。しかし,「地理上の発見」という表現はヨーロッパを中心とした見方であり,「発見された」側の立場を無視したものであると批判されている。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の地理上の発見の言及
【商業革命】より
…バスコ・ダ・ガマの東インド航路の発見(1498)とコロンブスによる新世界の発見(1492)をはじめとするいわゆる〈地理上の発見〉([大航海時代])によって,世界貿易の構造が一変し,またその結果としてヨーロッパ内部に勢力の交替や経済,社会,生活上の変化が生じたことをいう。ポルトガルが喜望峰経由の新航路によってアジアに進出した結果,地中海経由の東方貿易で繁栄していたイタリア諸都市は打撃をうけ,17世紀になってより強力なオランダやイギリスがアジア貿易を展開すると,完全に没落した。…
【大航海時代】より
…1400年ころから1650年ころまでの,ヨーロッパ人による海外進出が始まり,新旧両大陸におけるその勢力範囲が確定した時期をさす。〈地理上の発見〉の時代とも呼ぶ。
[背景]
1300年ころの西ヨーロッパはビザンティン帝国支配下の地中海東部地域,マムルーク朝支配下の西アジア,エジプトに対して金,銀,銅,奴隷などを輸出し,絹織物などの手工業製品,香料などの東方の産物を輸入していた。…
※「地理上の発見」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」