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探検 たんけん exploration

翻訳|exploration

4件 の用語解説(探検の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

探検
たんけん
exploration

人類社会がその地理的視野を広げ,居住域を拡大する活動。探検の目的には,領土拡張,資源獲得,貿易拡大など政治的,経済的な目的をもったものが多かったが,現在では科学的な観測,調査が主となっている。

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デジタル大辞泉の解説

たん‐けん【探検/探険】

[名](スル)危険を冒して未知の地域に入り、実地に調べること。「極地を―する」

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世界大百科事典 第2版の解説

たんけん【探検 expedition】

未知の地域を踏破し調査する事業を探検というが,その内容や性格は文明の進歩,とくに地理的な知識の増大につれて,時代とともに大きく変化してきた。探検の歴史はそのまま人類の地理的な知識の発展史といえる。未知の地域とは世界の文明にとって未知の地域ということであるから,古くから文明の開けた東洋や西アジアの地方などについては,ふつう探検とか発見という語は使用されない。しかし近世の文明が西洋を中心として発展したために,これらの語もしばしば西洋中心に使用されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

探検
たんけん
exploration

未知の世界に実際に踏み込み、さまざまの探査、研究を行うこと。探検の本義については、細かいところで説の分かれるところもあり、歴史上探検といわれるものも、軍事的征服や財産、珍貨、資源の獲得が主目的であった場合が多いが、その奥につねに流れているものは、未知を求める人間の知的探究心、好奇心であったことは確かである。危険や生命を賭(か)けても、成し遂げたいという本能において、それは冒険adventureと異ならないが、冒険は探検の一要素になることが多いだけであって、同一のものではない。[梶 龍雄]

古代の探検(紀元前から紀元後4世紀)

探検の奥にあるものが人間本能である以上、探検は人類とともに始まったと考えられる。原始的な狩猟や自然採集の食生活の時代、また1万年以上も前の民族大移動時代には、人類の生活のなかには現代人の想像を超えた探検と冒険が織り込まれていたに違いないが、これは乏しい資料からかろうじて推定できるにすぎない。史実として現れてくるのは古代オリエント都市国家の発達あたりからで、彼らはかなり遠隔の地とすでに交易を行っていたから、その先駆けとして地理的知識の獲得のための探検に活発な行動を行っていたに違いない。
 こういう探検で史実として残っているのは、世界最古の大旅行記となった『ハンノ周航記』に記録されている前約500年のカルタゴ人ハンノのアフリカ西岸周航である。またヘロドトスの『歴史』にも、エジプト王ネコ(在位前664~前594)のころ、フェニキア人がアフリカ大陸の周航探検やその他の探検をしたことが書かれている。このなかには詩人アリステアスが、ユーラシア大陸北方のステップ地帯を西から東に旅した記載があり、現在のシルク・ロードのはしりとなるルートだと考えられる。
 この時代、探検史上に大きな役割を果たしたのは、マケドニアのアレクサンドロス大王の東征(前334~前324)で、ヒンドゥー・クシ山脈を越えて小アジアまで足を延ばし、西欧のギリシア文化が東方文化と融合するきっかけをつくった。ローマ時代はその広大な国土に比例して、各地への探検も広がり、クラウディオス・プトレマイオスはこれまでの探検記録の資料を集大成して『地理学集成』を著し、これは当時、完全な地理書と考えられていたという。[梶 龍雄]

中世の沈滞時代(5世紀~16世紀)

暗黒時代には西欧では探検活動も鈍化し、1096年に始まる十字軍の遠征に、わずかにその動きがあるだけで、むしろ中国やアラブに活動がみられた。中国はすでに漢の武帝時代に張騫(ちょうけん)が西トルキスタンにまで足を延ばし、400年以後は、勅命で遠国に赴いた使節、仏教聖地を目ざした僧、東西交易を目的とした商人などが、西域(せいいき)、南方諸国、インド、ヨーロッパなどの方面に探検的活動を始めた。
 また620年代に始まるムハンマド(マホメット)の大遠征をきっかけとしての、アラブ人の探検的行動も見逃せない。中世も後半に入っての封建制度の崩壊、新興商工都市の商工経済の勃興(ぼっこう)とともに、1254年に始まるマルコ・ポーロのアジア大旅行などがみられるようになった。また国家的援助を伴った、地球的規模で世界をとらえようとする、本質的な探検活動も現れ、1492年コロン(コロンブス)のアメリカ大陸到達は、次の地理的探検時代への幕開けとなった。[梶 龍雄]

地理的探検時代(16~17世紀)

遠洋航海技術の発達によるインド航路の充実とコロンブスの「新大陸」到達で、この二つをつないだ世界周航を達成しようとする気運が高まり、1519年8月、ポルトガル人フェルナゥン・ダ・マガリャンイス(マジェラン/マゼラン)は5隻の船団を率いてスペインのセビーリャから西回りの大航海に出発した。困苦の旅ののち、マジェランは太平洋に出ることに成功した。しかし、フィリピン諸島で原住民の争いに巻き込まれて彼自身は死亡したが、隊の1隻が、1522年9月、出港したセビーリャのサン・ルーカル港に帰り着き、史上初めての世界一周に成功した。出港時の280名はわずか18名になっていた。こうして16世紀の末ごろから海上貿易が盛んになってきたが、同時に海賊の跳梁(ちょうりょう)も激しくなった。一方、アメリカ大陸内部へのヨーロッパ人の侵攻も盛んになっていた。コロンブスは一生、この大陸を東洋(インディアス)の一部と考えていたようだが、1501年アメリゴ・ベスプッチはこれを新大陸と確認し、以後スペイン、イギリスなどの国が、この大陸に侵略的な意図の強い探検活動を始めた。[梶 龍雄]

科学探検の始まり(18世紀)

17世紀後半から18世紀前半にかけては、ヨーロッパは戦争や革命騒ぎで、探検活動は盛んでなかったが、このころから主目的が侵略、財宝の獲得、布教のためではない、探究心と科学精神を目的とした現代の探検活動の兆しが現れ始めた。南方大陸(テラ・オーストラリス)という、地球上の南方をほとんど取り囲む未知の大陸があるという考えは、16世紀の後半からすでにあり、人々の心を躍らせてきたが、この幻想を打ち消し、かわって最後の大陸オーストラリアの存在を証明したのは、ジェームス・クックである。もっとも偉大な近代探検家といわれ、探検家としての強健な肉体と精神、科学知識、ヒューマニティを兼ね備えていたクックは、1772年から1776年にわたる、太平洋を中心とした三度の航海で、たくさんの島や海峡を発見し、彼の探検によって太平洋の地図は一変した。[梶 龍雄]

内陸探検の時代(19~20世紀)

航海による地理的探検が一段落すると、探検の目は今度は未知の内陸奥地へと向けられていった。奴隷貿易の根拠地というだけで、これまであまり手の入らなかったアフリカ大陸も、産業革命と資本主義の発達で、資源獲得の処女地という意味をもったこともあって、さまざまの探検の手が伸びるようになった。そのなかでもリビングストンは、三度にわたって、布教活動を伴ったアフリカ奥地探検を試みて、イギリスの国民的英雄になった。1867年、彼は奥地で病に倒れてそのまま消息を絶ったが、その安否を尋ねて奥地に入り込んだ新聞記者スタンリーが、タンガニーカ湖畔でついに劇的な対面を遂げたことは、探検史上の有名なエピソードである。
 シルク・ロードの主要路でもあり、また仏教芸術の宝庫でもあった東トルキスタンは、19世紀の末ごろまでは西欧の人々にとっては、まだほとんど未知の地帯であっただけに、探検家たちのあこがれの地であった。そこで19世紀の後半から20世紀にかけて、さまざまの探検家がこの地に足を踏み入れるようになった。ロシアのプルジェバリスキー、スウェーデンのヘディンなどは主として地理学的見地から探検を行い、プルジェバリスキーはその後その位置や実在が論争のまととなった「さまよう湖」といわれるロプノールを発見し、ヘディンもその湖一帯を調査するうちに、紀元前5世紀ころに栄えたという(ぜんぜん)国の首都楼蘭(ろうらん)の遺跡を発見した。ハンガリー人でのちにイギリスに帰化したスタインは、この地に3次にわたって学術探検を行い、その膨大な収集品、地図の作成、地名研究、報告書は、中央アジア研究の重要な資料となっている。
 こうした内陸探検ののちに残されたものは北極と南極であった。各国はこの両極の極点到達の争いに力を注ぐようになった。さまざまの試みや悲惨な失敗のあと、まず氷原上の北極地点到達に成功したのは、アメリカのロバート・ピアリーで、1909年のことだった。南極点争いのほうはさらに熾烈(しれつ)を極め、最後にはノルウェーのアムンゼンとイギリスのスコットの争いに絞られた。1912年1月6日、スコット隊はついに南極点に達したが、そこにはすでにアムンゼンの到達を示す国旗がはためいていた。アムンゼンは約1か月前の1911年12月14日、すでに南極点に到達していたのである。しかもスコット隊の悲劇は続き、その帰途、全員が凍死するという運命が待っていた。[梶 龍雄]

日本の探検

島国日本にあっては、鎖国政策もあって、探検という意識も行動も希薄であったが、江戸時代も後半になると、日本人の海外に対する興味も盛んとなり、18世紀後半の近藤重蔵(じゅうぞう)、最上徳内(もがみとくない)の蝦夷(えぞ)、千島、樺太(からふと)(サハリン)の踏査、1800年(寛政12)からの伊能忠敬(いのうただたか)、間宮林蔵(まみやりんぞう)の樺太、黒竜江(こくりゅうこう)(アムール川)下流地方の測量と探検など、主として北方への探検が行われるようになった。とくに、間宮林蔵の樺太が海峡を挟んだ島であるという発見は、日本人が探検史上の発見に寄与した珍しい例である。
 明治の海外文明導入とともに、日本人の探検の意識も高まり、明治20年代には「探検」ということばも現れ、「海外雄飛」などのことばとともに、日本人の探検心を具体化していった。1880年(明治13)の吉田正春らのペルシア、西トルキスタンの調査行、1893年の郡司成忠(ぐんじしげただ)大尉の千島探検、1902年(明治35)の井上雅二の西アジア探検などがそれだが、なんといっても国民的な探検熱を高めたのは、1912年(明治45)の白瀬矗(しらせのぶ)中尉の南極探検隊だった。だが、当時の装備と技術の及ぶところには限界があり、南極点に到達せずに引き返した。
 日本の探検隊として雄大な視野をもっていたのは、西本願寺門主大谷光瑞(おおたにこうずい)の企画した大谷探検隊で、中央アジアの古い仏教経典類の収集を主目的として1903年(明治36)から1914年(大正3)まで3回の探検行が行われ、多くの成果をあげた。また1906年、陸軍少佐日野強(つとむ)(1865―1920)は軍命によって中央アジア横断の旅を行い、詳細な旅行記『伊犂紀行(いりきこう)』(1909、全2巻)を著した。また、仏教求法の聖地としてのチベットへの探検も盛んになった。なかでも仏教学者河口慧海(えかい)は、チベット語仏教経典に目を通すため1899年インドから、さらにチベットへの波瀾(はらん)多い潜入探検旅行に出た。
 世界の探検の質の変化は日本にも及び、1955年(昭和30)のカラコルム‐ヒンドゥー・クシ学術探検隊、1956年から始まった南極観測隊など、学術探検の色を濃くし、そして同時に、ヒマラヤの雪男を求めたり、ネス湖の怪獣を探索したりするジャーナリスティックな色彩の強い探検も多くなった。[梶 龍雄]

現代と未来の探検

20世紀なかば前後からの科学の急速の進歩、それに伴う運輸手段の発達は、地球上に未知の領域を少なくし、探検の目は地理的空白地帯、あるいは深海、地球内部へと向くようになり、学術的意味合いを強くしていった。たとえば未開民族や未開地帯の探検、深海探検、洞窟探検(ケービング)cavingなどである。学術的課題や記録の追究なども一つの探検になっている。また宇宙開発の発達とともに、新しく広大な分野として宇宙探検が現れ、1969年、アポロ11号による人類の月世界到着は、その華々しい幕開けとなった。しかし、このような分野の探検は、超国家的事業としての大規模な背景を必要とする例外で、一般的な未来の探検としては、文化人類学者川喜多二郎の唱える「課題追求のための探検」、歴史学者長澤和俊(ながさわかずとし)の考える「記録の競争の探検」などがある。そして未来の探検は、歴史上のこれまでの探検が、本多勝一(かついち)の指摘する「探検する側とされる側」という関係が「侵略する側とされる側」の関係とダブるようなものではなく、いつも平等のヒューマニズムにたった、人間の知的憧憬(しょうけい)の行動でなければならないだろう。[梶 龍雄]
『長澤和俊著『世界探検史』(1969・白水社) ▽『朝日講座 探検と冒険』全八巻(1972・朝日新聞社) ▽『朝日新聞100年の記事に見る2 探検と冒険』(1979・朝日新聞社)』

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世界大百科事典内の探検の言及

【旅】より

…既知の世界の外になにがあるか。子どもが親の管理下から逸脱し,冒険的に野山に出かけて親を心配させることがあるが,空間的既知の世界の外に向かうこの好奇心が,いわゆる探検的な旅を促す動機であった。大航海時代以降,未知な世界の踏査におもむいた大探検家は,まさにこういう動機に促された未知の世界への旅を行ったが,なにもこの種の旅への衝動は,彼らのみがもっていたのではあるまい。…

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