マゼラン(読み)まぜらん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マゼラン」の意味・わかりやすい解説

マゼラン(惑星探査機)
まぜらん
Magellan

金星表面の詳しい地表図を作成することを目的とした惑星探査機。1989年5月にNASA(ナサ)(アメリカ航空宇宙局)により打ち上げられた。スペースシャトルアトランティスに搭載されて地球周回軌道上に運ばれ、アトランティスから固体ロケットで金星に向け打ち出された。1990年8月に金星周回軌道に到着している。金星は厚い大気に覆われ、金星表面の詳細な地形図がわかっていなかった。マゼラン合成開口レーダーを使い、金星のほぼ全域にわたり、高解像度の詳細な地形図を作成した。マゼランの大きさは1.5×0.9×0.3メートルで、打上げ時の質量は3349キログラム。直径3.7メートルの高利得アンテナとレーダーアンテナを備える。1994年9月に金星大気の抵抗を使って速度を落とす技術を用いて、高度を下げる実験を行い、より低高度での観測を実施、同年10月には金星大気に突入して消滅した。

[編集部 2023年4月20日]



マゼラン(Ferdinand Magellan)
まぜらん

マジェラン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マゼラン」の意味・わかりやすい解説

マゼラン
Magalhães, Fernão de; Ferdinand Magellan

[生]1480. オポルト?
[没]1521.4.27. マクタン島
ポルトガル航海者。最初の地球周航者。ポルトガルの下級貴族出身で,マヌエル1世 (幸運王)に仕え,1505年ポルトガル領インド初代総督 F.アルメイダのインド遠征に参加。 13年モロッコ遠征隊に加わり重傷を負った。やがてマヌエル1世と不和になり,スペインにおもむきカルロス1世 (神聖ローマ皇帝カルル5世 ) に仕えた。国王の承認を得て,ポルトガルが独占しているアフリカ南端回りを避けて東洋に到達するルートを捜し求めるために,19年9月 20日,司令船『トリニダード』号に乗り,その他4隻の船隊 (265人で9ヵ国の人々から成る) を率いてサンルカルデバラメダを出発,南アメリカ沿岸を南下してマゼラン海峡を発見し,20年 11月 28日太平洋に出た。このときすでに船隊は3隻になっていた。食糧,水の欠乏や壊血病に苦しみながら 99日の航海ののち,21年3月6日マリアナ諸島のラドロネス島 (グアム島) に到着,次いで3月9日サマール群島 (現フィリピン諸島) の南端に到着した。マゼランはここで先住民に殺されたが,生存者は彼の志を継ぎ航海を続行,マルク諸島にいたって,『ビクトリア』号ただ1隻となり,22年9月7日 J.エルカノに率いられてスペインに帰国。帰り着いたのはわずか 17人の生残りのヨーロッパ人乗組員と4人のマレー人であった。この航海により,世界最初の地球周航が実現し,地球球体説が実際的にも証明された。

マゼラン
Megellan

NASAの金星マッピング探査機。直径 3.7m,長さ 6.4m,金星投入時重量 3450kg,同軌道上での本体重量 1035kg。主な目的は,金星の表面形状とそれを支配している過程を調べ,地質学的歴史についての知識を得ること,1km以上の解像度で全体の像を撮ること,などである。 1989年5月,スペースシャトルにより惑星間軌道に打ち上げられた。 15ヵ月を要して,90年8月に金星に到着し,固体ロケットモータにより金星のだ円軌道に入った。8ヵ月の観測期間中,合成開口レーダを用いて,金星表面の 70~90%に当たる部分のレーダ像を撮影し,地球に伝送し,91年に役割を終えた。

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