坂井新田(読み)さかいしんでん

日本歴史地名大系 「坂井新田」の解説

坂井新田
さかいしんでん

[現在地名]頸城村大坂井おおさかい

東に西湊にしみなと新田、北に中柳町なかやなぎまち新田がある。明暦元年(一六五五)に開発のなった中谷内なかやち新田のうち。開発時には高二〇石一斗余であった(平石家文書)正保国絵図に高八六石余とある。天和三年郷帳では高一二一石九斗余、同所新田・高一八石二斗余とある。同郷帳の蓮浄寺本にはうち無役高六一石余・中谷内高二〇石一斗余とある。

坂井新田
さかいしんでん

[現在地名]見附市坂井町

坂井村の東。年不詳の新発田領村々開発録(釈迦塚区有文書)によると、慶長五年(一六〇〇)の開発という。開発人は坂井村の開発者弥八郎家で、当村は同家の支配とある。しかし元禄一一年(一六九八)の新田年号并枝村方角道法付(新発田市立図書館蔵)によると、元和九年(一六二三)の開発とある。正保国絵図に高七三石余。慶安五年(一六五二)の御請申候畠方之事(釈迦塚区有文書)によると、坂井村弥兵衛は大面おおも(現南蒲原郡栄町)境に五反の畠を三年休みの特典で地下開じげびらき(百姓主体の開作)とすることを引受けている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報