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浄厳 ジョウゴン

デジタル大辞泉の解説

じょうごん〔ジヤウゴン〕【浄厳】

[1639~1702]江戸中期の真言宗の僧。河内(かわち)の人。俗姓上田氏。字(あざな)は覚彦(かくげん)。江戸時代梵学(ぼんがく)の復興に功績があった。5代将軍徳川綱吉帰依を受け、江戸湯島に霊雲寺を建立。著「悉曇三密鈔(しったんさんみつしょう)」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

浄厳 じょうごん

1639-1702 江戸時代前期の僧。
寛永16年11月23日生まれ。真言宗。高野山で出家,良意,孝源らにまなぶ。教学,悉曇(しったん)学の研究をすすめ,新安祥寺流を大成した。将軍徳川綱吉の帰依(きえ)をうけ,元禄(げんろく)4年江戸湯島に霊雲寺を創建した。元禄15年6月27日死去。64歳。河内(かわち)(大阪府)出身。俗姓は上田。字(あざな)は覚彦(かくげん)。号は妙極堂,瑞雲道人など。著作に「悉曇三密鈔」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

浄厳

没年:元禄15.6.27(1702.7.21)
生年:寛永16.11(1639)
江戸前・中期の真言宗の僧。戒律復興,民衆教化,学問研究に足跡を残す近世真言の偉材。河内錦部郡(大阪府河内長野市)出身。10歳で高野山に登り顕密を修学。寛文1(1661)年伝法阿闍梨となったが,のち新安祥寺流を開創し諸流派の統合と修法の革新を図る。同10年,悉曇(サンスクリット)学など講座を開くも,一部から嫉視され下山し郷里で教鞭をとる。根本仏教回帰のための戒律復興に邁進し,延宝5(1677)年延命寺を自説の如法真言律の道場として創建した。元禄4(1691)年将軍徳川綱吉の帰依を受けて江戸湯島に霊雲寺を建立し,関東真言律宗の本拠とした。生涯に道俗貴賤60万人に戒を授けたという。霊力にも優れ綱吉の子の疱瘡を治したが,権勢を求めず今大師と讃えられつつ一生を終えた。著書100部以上,主著に『悉曇三密鈔』,『弁惑指南』など。悉曇学は特筆に値し,契沖の古典研究の指針となった。弟子に契沖,蓮体(甥),慧光ら。<参考文献>上田霊城編『浄厳和尚伝記史料集』

(正木晃)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

大辞林 第三版の解説

じょうごん【浄厳】

1639~1702) 江戸時代の真言宗の僧。字は覚彦。新安祥寺流の祖。密教を究め、梵語に通暁。徳川綱吉などの尊崇を受けた。著「悉曇三密鈔」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

浄厳
じょうごん
(1639―1702)

江戸初期の真言(しんごん)宗の僧。字(あざな)は覚彦(かくげん)。妙極堂(みょうごくどう)、瑞雲道人(ずいうんどうじん)と号する。河内(かわち)(大阪府)の人。高野山(こうやさん)で出家し顕密二教を学び、仁和(にんな)寺で広沢(ひろさわ)流の奥義(おうぎ)を極め、さらに各宗の教学や悉曇(しったん)(梵語(ぼんご)学)、儀軌(ぎき)を研究した。当代の真言の巨匠として令名高く、教相(教義面)においては古義・新義に偏らず、事相(秘密の修行面)は40余流を統一して新安祥寺(あんしょうじ)流を大成した。さらに戒律の衰えを嘆じて如法(にょほう)真言律を唱道し、郷里の延命寺を根本道場とした。ことに江戸時代における梵学復興の先駆者としての功績は大きい。将軍徳川綱吉はじめ諸侯の帰依(きえ)を受け、江戸湯島に霊雲(れいうん)寺を建立し、諸方に僧俗を教化した。弟子に契沖(けいちゅう)などがいる。著書は『悉曇三密鈔(しったんさんみつしょう)』『諸真言要集(しょしんごんようしゅう)』など多い。[吉田宏晢]

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