20世紀日本人名事典 「坂東国八」の解説 坂東 国八バンドウ クニハチ 明治〜昭和期の畜産家 生年安政3年12月(1856年) 没年昭和11(1936)年12月 出生地淡路国三原郡賀集村(兵庫県) 旧姓(旧名)加藤 経歴淡路・賀集村の加藤善太郎の八男に生まれ、北阿萬村の坂東文吉に養われるが、のち出て洲本町に暮らす。儒学者・奥井寒泉に従学し、伴われて東京に行き、一時芝区小学校の教員となる。のち郷里に帰り久米次銀行に務め、支店長に進むが、退職して、明治15年から兵庫県淡路島の洲本で乳牛を飼育し、19年牛乳の市販を始める。のち坂東牛乳の名で知られた。町議、町学務員などの公職も務め、淡路産牛組合を作るなど、淡路の酪農・畜産の発展に尽力した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂東国八」の解説 坂東国八 ばんどう-くにはち 1856-1936 明治-昭和時代前期の畜産家。安政3年12月生まれ。明治15年から兵庫県淡路(あわじ)島の洲本で乳牛を飼育し,19年牛乳の市販をはじめる。のち坂東牛乳の名で知られた。淡路産牛組合をつくるなど,淡路の酪農,畜産の発展につくした。昭和11年12月死去。81歳。淡路出身。本姓は加藤。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by