日本歴史地名大系 「垣内田村」の解説 垣内田村かくつたむら 石川県:羽咋市垣内田村[現在地名]羽咋市垣内田町四町(しちよう)村の東、邑知(おうち)潟南方平地に立地。東縁を飯山(いのやま)川が北流。正保郷帳では上江(うわえ)村を含めて高付され、高五九二石余、田方三七町七反余・畑方一町八反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高三五四石、免五ツ四分、小物成は山役一四五匁・苦竹役三匁、鳥役二匁(出来)であった(三箇国高物成帳)。天保年間(一八三〇―四四)の村明細によると高三五五石、免は同じ、家数二〇(うち頭振二)・人数八六、稼は苧・木綿。 垣内田村かいとだむら 三重県:松阪市垣内田村[現在地名]松阪市垣内田町櫛田(くしだ)川下流右岸乙部(おとべ)村の東にあり、東は神守(かんもり)村、南は牛草(うしくさ)村と接する。「はたとのゝ御神事之日記」(神宮文庫蔵)の宝徳三年(一四五一)一月一一日条に「かいと田まつかたふたつかた二社」の記載があり、天文一五年(一五四六)書写の神服部内戸納帳(「神服大神部・神部家文書」同蔵)に「一段 中せこ前 百文 在所垣内田 東禅寺下地」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by