日本歴史地名大系 「垣崎庄」の解説 垣崎庄かきざきのしよう 福岡県:遠賀郡岡垣町垣崎庄現在の岡垣町吉木(よしき)を中心に東は芦屋(あしや)町の芦屋地区(芦屋津)までがその領域であったと推測される摂関家領庄園。古代の遠賀(おか)郡垣前(かきざき)郷(和名抄)を中核として成立したと考えられる。文永一〇年(一二七三)五月八日の大隅正八幡宮大神宝官使等重申状案(宮内庁書陵部所蔵八幡宮関係文書/鎌倉遺文一五)に「筑前国垣崎庄地頭長洲二郎・同舎弟鯰田五郎各実名不分明」とみえ、建久(一一九〇―九九)の造替の際、地頭長洲・鯰田兄弟が官使を妨げたために没収され、使の越中七郎左衛門入道に与えられて、その子孫に伝領されたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報