藤原氏の氏長者(うじのちょうじゃ)の地位とともに伝領される所領。平安中期以降、摂政(せっしょう)・関白(かんぱく)が氏長者を兼ねるのが通例となったため、摂関の敬称によって殿下渡領といわれ、摂籙渡荘(せつろくわたりのしょう)などとも称された。渡領とは、特定の地位に付属して渡り伝えられる所領をいい、平安中期には天皇に代々伝えられる後院(ごいん)渡領が成立しているが、藤原氏においても、同じころ大和(やまと)国(奈良県)佐保殿(さほどの)、備前(びぜん)国(岡山県)鹿田(かだ)荘、越前(えちぜん)国(福井県)方上(かたがみ)荘、河内(かわち)国(大阪府)楠葉牧(くすばのまき)の四か所が氏長者の地位に付属する所領として固定し、交替時にはこの四か所を渡文(わたしぶみ)に載せて新長者に譲渡するのが例となった。ついで藤氏長者と摂関職が藤原道長(みちなが)の子孫に定着して摂関家が成立するに及び、摂関・氏長者は、上記の四か所のほかに、氏院(うじのいん)(勧学院)領、法成寺(ほうじょうじ)(道長建立)領、東北院(道長女彰子(しょうし)建立)領、平等院(道長男頼通(よりみち)建立)領を伝領することになり、「長者摂(と)る所の庄園(しょうえん)」として一般家領と区別された。こうして氏院寺領も佐保殿以下四か所の渡領とともに殿下渡領とよばれるようになった。1305年(嘉元3)に作成された「御摂籙渡荘目録」によると、氏院寺領は、勧学院領34か所、法成寺領28か所・19末寺、東北院領34か所、平等院領18か所・11末寺からなる大所領群である。一方、佐保殿以下の渡領は、のちのちまで平安時代以来の書式に従った渡文をもって伝領し、執事(しつじ)、年預(ねんよ)および御厩別当(みうまやべっとう)をして知行(ちぎょう)させ、渡領の象徴たる伝統を保持した。
[橋本義彦]
『橋本義彦著『平安貴族社会の研究』(1976・吉川弘文館)』
摂政・関白を兼ねる藤原氏長者の地位に付属する所領として,代々の長者が伝領・管領した所領群。摂関家渡領,たんに渡領ともいう。氏の共有財産として,氏長者の主宰する氏行事の用途を負担した。渡領という言葉は平安中期に初見し,元来は氏長者家の執事・年預(ねんよ)が知行した大和国佐保殿(さほどの)(宿院),備前国鹿田荘,越前国方上荘と,御厩別当が知行した河内国楠葉(くすは)牧の4所領をさした。鎌倉時代には,これに加えて勧学院や法成寺などの氏院・氏寺領も渡領に数えられた。
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… 家領としてもっとも規模の大きい摂関家領は,中世に至って氏長者領と各摂家領に分離した。摂関・氏長者に直属し,その地位とともに伝領される氏長者領(殿下渡領,摂関家渡領(せつかんけわたりりよう))は,はじめ大和国佐保殿,備前国鹿田荘,越前国方上荘,河内国楠葉牧の4ヵ所であったが,のちに氏院(勧学院)領34ヵ所,法成寺領28ヵ所,同末寺19ヵ所,東北院領34ヵ所,平等院領18ヵ所,同末寺11ヵ所が〈摂籙渡荘〉となり,摂関の地位に付随して各摂家の間を渡り動いた。一方,院政期に確立した摂関家領(冷泉宮領,京極殿領,堀河中宮領,高陽院領など)は近衛家領にひきつがれ,またそれとならんで皇嘉門院領を主体とする九条家領その他の摂家領が成立している。…
…藤原氏の氏長者の地位に付属して伝領される所領。平安中期以降,摂政ないし関白が藤氏長者となるのが通例となったため,摂関の敬称により,殿下渡領ともいわれ,また摂籙渡(せつろくわたり)荘とも称された。渡領とは,特定の地位に付随して渡り伝えられる所領をいい,平安中期には天皇に代々伝えられる後院渡領が成立しており,そのほか太政官の官務渡領や局務渡領などもあるが,史上とくに有名なものは藤原摂関家の渡領である。…
※「殿下渡領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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