城之橋町
じようのはしまち
[現在地名]福井市手寄一―二丁目・豊島一―二丁目・中央二丁目
福井城三の丸の南部分は柴田氏の北庄城本丸にあたるが、ここの鳩御門から百間堀を渡って東の対岸に架かる土橋が柴田氏時代からの城之橋の名残であろう。天正一三年(一五八五)閏八月一三日付の羽柴秀吉の堀秀政宛越州加州内知行方目録(金沢市立図書館蔵)に「一、弐万五千六百三拾五石六斗四升 城之橋東」とみえる。町名もこれに由来するもので、他の町屋と異なり当町のみが郭内に残るのも柴田氏時代の町屋の名残と考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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