日本歴史地名大系 「福井城下」の解説
福井城下
ふくいじようか
〔城下の形成〕
天正三年(一五七五)越前国主となった柴田勝家が、足羽川北岸
天正一一年の柴田氏滅亡後、丹羽氏・堀氏・青木氏が相次いで北庄城主となったが、慶長五年(一六〇〇)一二月、結城秀康が封じられ、越前松平藩(福井藩)が成立した。秀康の
北庄の西部主街は柴田氏時代の町屋地区で、慶長年間北庄四ツ割図は、この旧市街の北側に堀と土居、西側の町端に「堀、土居拾弐間」を記す。すなわち旧市街は堀と土居で市邑を包む邑城形式であった。慶長六年の北庄城拡張と並行して、城北の
城下の区域は、太閤検地の際の町村名でいえば北庄町・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報