城方村(読み)じようほむら

日本歴史地名大系 「城方村」の解説

城方村
じようほむら

[現在地名]南淡町灘城方(なだじようほう)

諭鶴羽(ゆづるは)山系を南東へ下る稜線を境に南は油谷(ゆだに)村。天正一四年(一五八六)一一月三日の淡路国御蔵入目録にみえる「なだ」一〇三石六斗のうちに含まれ、正保国絵図に下灘(しもなだ)一二ヵ村の一として村名がみえる。「味地草」によると、もとこの地はエハブとよばれ土生(はぶ)村続きの地であったが、天正一二年の地震により一部住民が油谷村に移住し、その跡が城方村となったという。享保元年(一七一六)の両国郷村高辻帳(蜂須賀家文書)では高九石余。天保郷帳では高一九石余。油谷組に属した。反別戸数取調書によると反別四町四反余、高二八石余はすべて蔵入地。家数二〇・人数一一一。明治一〇年(一八七七)油谷村など五ヵ村と合併して下灘村となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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