日本歴史地名大系 「埴谷村」の解説 埴谷村はにやむら 千葉県:山武郡山武町埴谷村[現在地名]山武町埴谷・美杉野(みすぎの)大木(おおぎ)村の東に位置し、西部を作田(さくだ)川の支流境(さかい)川が流れる。古代の武射(むしや)郡埴屋(はにや)郷(和名抄)の遺称地とされる。文明二年(一四七〇)成立の「埴谷抄」には室木内(むろきうち)(現諸木内)・小原(おばら)(現井上・宿)・寺(じ)ヶ台(だい)・中台(なかだい)・沖渡(おきわたし)・実門(さねかど)・横田(よこた)を埴谷七村とよぶとある。このうち沖渡・実門・横田は近世には村名となり、その他は字名となって現存する。中世、当地は埴谷氏の本貫地であり、その一族が関東管領上杉家に仕えたとされる。城越(じようのこし)・城山(じようやま)を含む一帯に中世の埴谷城跡がある。南辺九〇メートル・南北一一〇メートルのほぼ直角三角形で、曲輪周囲に腰曲輪を設け、周囲に土塁をめぐらしている。一五―一六世紀の築城と推定され、城主を埴谷氏とする説と宍倉氏とする説がある。内宿(うちじゆく)に八幡(はちまん)城跡がある。周路(しゆうろ)の埴谷周路館跡は東西四五メートル・南北六五メートル、土塁が囲む中世の館跡。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by