朝日日本歴史人物事典 「堀利煕」の解説
堀利煕
生年:文政1.6.19(1818.7.21)
幕末の幕臣。幕臣利堅の子。母は林述斎の娘。織部,織部正と称す。老中阿部正弘に登用され,嘉永6(1853)年目付,ペリー来航の直前に海防掛。このとき,国交拒絶を主張,大船製造掛に就いたが,翌安政1(1854)年北蝦夷地視察に赴き,蝦夷地防備の必要と,外国との国力差を痛感。同年箱館奉行に就任し,同3年幕府の諮問に対し通商互市の緊急性を答申。同5年,英仏露使節の応接準備,応接掛を命ぜられ,各通商条約締結の際は全権のひとりとして調印。また5年外国奉行,6年には神奈川奉行も兼務し,横浜開港に尽力。この間,一橋派として14代将軍継嗣問題にもかかわる。万延1(1860)年プロシア使節オイレンブルク一行を全権として応接,交渉を主導したが,プロシアとの条約締結直前に謎の自刃を遂げた。忠憤時事を嘆じた結果ともいわれる。<参考文献>「幕府名士小伝」(『旧幕府』1巻2号),『維新史』2巻
(岩壁義光)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報