改訂新版 世界大百科事典 「政党制」の意味・わかりやすい解説
政党制 (せいとうせい)
party system
政党政治の担い手としての政党を構成要素とする政治制度・システムを意味する。政党間の関係,政党と他の社会集団との関係,政党の機能などの違いによって,国ごとにそのあり方はきわめて多様である。
政党制の分類
もっとも顕著なのは,この制度の構成要素としての政党の数による違いで,政党制はこの点から一党制,二党制,多党制に大別される。一党制は法的規制などにより1政党のみを構成要素とする政党制で,かつては,中華人民共和国,アルバニア,ザイールなどの共産主義あるいは全体主義体制下の国々に見られたが,1990年代に入って,アルバニア,ザイールでは民主化が進み,多党化傾向が顕著になった。一党制下では,複数政党間の政権交代を含意する民主的政党政治は実現されない。二党制は,日本では二大政党制とも呼ばれるが,単に2政党を構成要素とする政党制を意味するのではなく,厳密には,(1)政権を掌握する真の可能性をもつ政党が二つある,(2)これらの2政党中の一方が,第三党の援助なしに政権担当に必要な多数を獲得できる,(3)長期にわたって,これらの2政党が交互に政権を担当してきた,などの条件を満たす政党制を指す。この意味での二党制は典型的にはアメリカやイギリスにみられる。二党制がしばしば〈アングロ・サクソン現象〉と呼ばれるゆえんである。多党制は3党以上の政党を構成要素とする政党制を一括するが,この政党制をとる国には,ドイツ,フランス,イタリア,スイス,スウェーデン,ノルウェー,デンマークなど西欧の国々が多い。
英米の二党制と第三党
二党制は二大政党以外の政党の不在を意味しない。実際にアメリカの場合,1860年大統領選挙でリンカンが共和党最初の大統領として当選してから今日まで継続している民主,共和両党の二党制の下で,両党以外の第三党が大統領選挙に候補者を立てなかったことはない。それどころか,1912年の大統領選挙では,革新党のT.ローズベルト候補は27.4%の得票率で,共和党のタフト候補(得票率23.2%)をぬき,民主党のウィルソン候補に次ぎ第2位を占めた。また1980年の大統領選挙などでは,およそ20の小政党が候補者を立ててきたが,その中には社会党,社会労働者党,共産党などとともにアメリカ党,禁酒党,市民党,中産階級党などが含まれていた。けれども,アメリカでは1860年以来の民主・共和二党制下で,両党以外から大統領がでたことはなく,この間の大統領選挙で両党の合計得票率が90%に達しなかったのは1860年,92年,1912年,24年,68年,92年の6回にすぎず,連邦議会の上下両院議員や州知事のほとんどすべても両党のいずれかに属し,第三党群の中で継続的に両党の地位を脅かしてきた政党はない。
これに対しイギリスの二党制は,有力な第三党の存在によって特徴づけられる。すなわち,19世紀以後保守党と拮抗する二党制の担い手であった自由党が,1920年代前半期に労働党にその地位をとって代わられ,保守・自由二党制が,保守・労働二党制に変わったが,自由党はその後もスコットランド民族党,ウェールズ民族党などの他の小政党とは区別された第三党としての地位を確保し続けてきた。ちなみに,1945年から83年までの12回の総選挙での自由党の得票率は平均10.1%であるが,他の小政党の平均得票率は合計3.0%にすぎない。さらに,1980年代のイギリス政党制で注目に値するのは,81年の社会民主党の創設に象徴される多党政治への傾向の発展で,83年総選挙では自由党と社民党の連合〈自由・社民連合〉の得票率が25.3%に達し,保守,労働両党の合計得票率は1945年以来最低の70.0%に落ち込んだ。
政党制と選挙制度
政党制が国ごとに異なっている要因にはさまざまなものがある。その一つが伝統の影響で,アメリカやイギリスの二党制はこの要因をぬきにしては語れない。イギリス二党制は17世紀のトーリー党とホイッグ党の対立に端を発しており,アメリカでは建国当初の連邦党と反連邦派としての民主共和党の二つの流れが,今日の共和党と民主党に続いている。政党制と選挙制度の関係もまた重要である。まず,アメリカやイギリスで採用されている〈勝者がすべてを獲得する〉小選挙区制は,政治勢力の二分化を不可避とし,二党制を導くかあるいは強化する方向で作用するが,この勢いは〈第2党に対して第1党の代表を誇張し,第3党以下に対して第2党の代表をいっそう誇張する〉(シャットシュナイダーE.E.Schattschneider(1892-1971))という小選挙区制の傾向によって,ますます強められる。他方比例代表制は,一般に多党制と無関係ではない。現実にドイツ,スイス,スカンジナビア諸国など多党制の国の多くは,比例代表制を採用している。いうまでもなく,比例代表制下では得票率に応じて各党に議席が配分され,小政党も議席を確保できる。その結果が,比例代表制下の〈小党分立〉状況にほかならない。イギリス自由党が前述の12回の総選挙で平均10.1%の得票率をあげながら,平均10議席しか獲得できなかった主因は小選挙区制であり,比例代表制下であれば,同党は平均して60余りの議席を獲得できたはずである。また1997年総選挙で,社会自由民主党は得票率17.2%で46議席(議席率7.0%)を獲得したが,比例代表制下であれば,同党は110余りの議席を占めることができたであろう。他方,比例代表制下のドイツが,キリスト教民主同盟,社会民主党,自由民主党の3党を軸とする政党制を維持し,小党分立状況を回避できているのは,小選挙区制を併用し,有権者が2票をもち,連邦議会議員の半数は,第1投票で小選挙区から選出され,(1)小選挙区で3議席未満,あるいは,(2)第2投票で有効投票の5%未満しか獲得できなかった政党は,第2投票に基づく残り半分の議席の比例配分の対象外とされているからである。
執筆者:内田 満
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報