堀城跡
ほりじようあと
[現在地名]大和町椋梨 堀
椋梨川南岸の山麓にある丘を中心に構築された椋梨氏の居城。椋梨国平以降、景良が防長へ移るまでの約三〇〇年間、椋梨氏の根拠地であった。桜ヶ城・椋梨城とも称する。前方に空堀がある。その前面一帯に市頭・市尻という地名や胡社がみられるところから、市場が開かれていたことが知られる。沼田本郷(現豊田郡本郷町)から吉田(現高田郡吉田町)への通路にあたり、天正一六年(一五八八)七月七日に吉田の郡山城を出発して京都で豊臣秀吉に謁した毛利輝元は、帰途、椋梨城付近の一寺に宿泊している(毛利家文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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