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堀平太左衛門 ほり へいたざえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

堀平太左衛門 ほり-へいたざえもん

1717*-1793 江戸時代中期の武士。
享保(きょうほう)元年12月3日生まれ。肥後熊本藩家老。宝暦2年藩主細川重賢(しげかた)に登用され大奉行となる。以来重賢を補佐して財政再建,司法の整備,藩校時習館の設立など藩政改革にあたった。寛政5年4月23日死去。78歳。名は勝名。字(あざな)は君綽(くんしゃく)。号は巣雲。

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朝日日本歴史人物事典の解説

堀平太左衛門

没年:寛政5.4.23(1793.6.1)
生年:享保1(1716)
江戸中期の熊本藩大奉行,家老。用人勝行の子。名は勝名。巣雲と号した。享保18(1733)年親跡500石相続。若年より本藩の疲弊ぶりを嘆き財政再建について決意するところがあったという。藩主細川重賢の藩政改革に際して,同僚竹原勘十郎の推挙によって,宝暦2(1752)年大奉行に登用され,新設の機密機関を改革の中核とした。6年奉行所に権限を集中して奉行分職制を確立し,中老職を設け,大奉行兼帯で腕をふるった。改革は財政策として宝暦地引合(検地),知行世減の法,文教策として藩校時習館,医学校再春館の設立,法制面では「刑法草書」を発布するなど諸面におよぶものであった。平太左衛門は藩主の全幅の信頼を受けて改革にのぞんだが,第三者の批判には細心の注意を払い,反対意見は積極的に論破し,中傷する者は直ちに配置替えを行って排除したが,役人の少々の不都合には目をつぶって大義をなさしめる方針を取ったという。改革の成果は幕府にも聞こえ,老中松平定信にもお目見えし「肥後に鳳凰あり」と藩主重賢の名を高からしめた。反面,家禄500石の平太左衛門が家老(3500石)に登用されたことは名族世襲家老らの反感を買い,反対派も少なくなかった。

(松本寿三郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

堀平太左衛門
ほりへいたざえもん

堀勝名」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典内の堀平太左衛門の言及

【堀勝名】より

…熊本藩中期の家老で,宝暦改革の担当者。通称平太左衛門。世禄500石。用人堀勝行の子。1733年跡目を相続して用人となったが,藩主細川重賢に抜擢されるとさっそく財政再建に乗り出し,52年(宝暦2)大奉行となって改革政治をすすめた。56年中老,66年(明和3)には家老(3500石)となる。藩主重賢の信任厚く,一部家臣の非難を排除して重用された。【松本 寿三郎】…

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