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堀勝名 ほりかつな

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

堀勝名
ほりかつな

[生]享保1(1716).熊本
[没]寛政5(1793).4.24. 熊本
江戸時代中期の熊本藩家老。字は君綽。通称,平太左衛門。号は巣雲。 500石取りの家臣であったが,延享4 (1747) 年8月襲封した藩主細川重賢に見出され,いわゆる宝暦の改革を担当するため大奉行となり,財政,教学の改善に努め,中老を経て家老となり 3500石に達した。寛政4 (92) 年病にかかり隠居

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世界大百科事典 第2版の解説

ほりかつな【堀勝名】

1716‐93(享保1‐寛政5)
熊本藩中期の家老で,宝暦改革の担当者。通称平太左衛門。世禄500石。用人堀勝行の子。1733年跡目を相続して用人となったが,藩主細川重賢に抜擢されるとさっそく財政再建に乗り出し,52年(宝暦2)大奉行となって改革政治をすすめた。56年中老,66年(明和3)には家老(3500石)となる。藩主重賢の信任厚く,一部家臣の非難を排除して重用された。【松本 寿三郎】

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世界大百科事典内の堀勝名の言及

【肥後国】より

…しかし財政的には苦しく,入国直後の島原の乱(1637)出兵,47年(正保4)長崎警衛まではなんとかもちこたえたものの,享保の飢饉や代々の御手伝普請(おてつだいぶしん)などによって悪化の一途をたどり,7代藩主宗孝のころには参勤の費用にも事欠き,たとえ参勤できても江戸での月々の御用金にもさしつかえるという有様であった。兄の急死によって藩主の座についた8代重賢は堀勝名を登用して宝暦の改革を行い,封建的秩序の回復,財政再建に乗り出し,藩校時習館・医学校再春館の創設,刑法の改正,地引合(検地)による隠田摘発,専売仕法の実施によって成功し,〈紀州の麒麟(きりん)(徳川治貞)〉と並んで〈肥後の鳳凰〉と称せられ,幕末にかけて他藩から多くの学者,文化人の来訪を受けた。その大部分は肥後の藩政改革,学校制度を学ぶ者であった。…

【細川重賢】より

…当時熊本藩は連年財政困難にあり,参勤交代・江戸藩邸の費用にも事欠くありさまであった。重賢は藩主に就任すると堀勝名を大奉行に抜擢(ばつてき)して藩政改革にとりかかった。まず綱紀粛正を図り,行政機構の整備,刑法草書の制定,財政再建に向けての地引合(じびきあわせ)(検地の一種)による隠田の摘発と定免(じようめん)制(農民の反発により延期),櫨(はぜ)・楮(こうぞ)の専売,藩士に知行世減法を行ったほか,藩校時習館を建てて人材の育成を図り,農商人の子弟でも俊秀の者には門戸を開放した。…

※「堀勝名」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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