改訂新版 世界大百科事典 「堀勝名」の意味・わかりやすい解説
堀勝名 (ほりかつな)
生没年:1716-93(享保1-寛政5)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…しかし財政的には苦しく,入国直後の島原の乱(1637)出兵,47年(正保4)長崎警衛まではなんとかもちこたえたものの,享保の飢饉や代々の御手伝普請(おてつだいぶしん)などによって悪化の一途をたどり,7代藩主宗孝のころには参勤の費用にも事欠き,たとえ参勤できても江戸での月々の御用金にもさしつかえるという有様であった。兄の急死によって藩主の座についた8代重賢は堀勝名を登用して宝暦の改革を行い,封建的秩序の回復,財政再建に乗り出し,藩校時習館・医学校再春館の創設,刑法の改正,地引合(検地)による隠田摘発,専売仕法の実施によって成功し,〈紀州の麒麟(きりん)(徳川治貞)〉と並んで〈肥後の鳳凰〉と称せられ,幕末にかけて他藩から多くの学者,文化人の来訪を受けた。その大部分は肥後の藩政改革,学校制度を学ぶ者であった。…
…当時熊本藩は連年財政困難にあり,参勤交代・江戸藩邸の費用にも事欠くありさまであった。重賢は藩主に就任すると堀勝名を大奉行に抜擢(ばつてき)して藩政改革にとりかかった。まず綱紀粛正を図り,行政機構の整備,刑法草書の制定,財政再建に向けての地引合(じびきあわせ)(検地の一種)による隠田の摘発と定免(じようめん)制(農民の反発により延期),櫨(はぜ)・楮(こうぞ)の専売,藩士に知行世減法を行ったほか,藩校時習館を建てて人材の育成を図り,農商人の子弟でも俊秀の者には門戸を開放した。…
※「堀勝名」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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