堀残
ほりのこし
[現在地名]熊本市稗田町
出京町口に東西に京町を防御するため掘られた堀があり、そのうち東の堀の東部に掘残しがあった。「国誌」によれば、堀は寛永一六年(一六三九)細川忠利が掘らせたもので、東の方は有吉頼母下屋敷の裏手にあたるので、頼母の組衆が引受けた。頼母の家士らは、残らず堀を深くしたならば、後年崖崩れの恐れがあるので、掘残して土居にし、万一の時は一挙に掘るということを言上し、聞入れられ一部掘残しとなった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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