朝日日本歴史人物事典 「堀江興成」の解説
堀江興成
江戸中期の装剣金工家。通称を弥十郎といい,江戸神田西紺屋町や八丁堀に居を構えていた。号銘に一枝軒,晴雲堂などがある。はじめ浜野政随の門下で学んでいたが,明和6(1769)年に政随が没したため,大森英秀のもとに移った。その後師名の一字を許可されて英俊を名乗り,さらに独立後に興成を称したとみられる。また,尾崎直政にも学んだことが知られている。彫技にすぐれ,気品のある作風を示す作品が多く,門弟も多い。
(加島勝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報