新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「堀田連太郎」の解説 堀田 連太郎ホッタ レンタロウ 肩書衆院議員(憲政本党) 生年月日安政4年4月29日(1857年) 出身地信濃国松代(現・長野県) 学歴東京帝国大学採鉱冶金科〔明治14年〕卒 経歴明治14年農商務省に出仕の後、15年三菱へ入社。鉱山長を経て、28年欧米の鉱山を視察する。帰国後、30年農商務省鉱山技監となり、3年間かけて足尾銅山の鉱毒除去にとり組む。31年以来衆院議員に連続5回当選。鉄道国有調査会委員などを務める。37年以降柵原鉱山、44年からは日本鉱業会社の経営にも携わった。 没年月日大正4年12月20日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀田連太郎」の解説 堀田連太郎 ほった-れんたろう 1857-1915 明治-大正時代の実業家,政治家。安政4年4月29日生まれ。三菱に入社,鉱山長などをへて明治30年農商務省鉱山技監となる。足尾鉱毒事件では鉱毒予防工事の実施命令をだした。31年衆議院議員(当選5回,憲政本党)。37年から岡山県の柵原(やなはら)鉱山を経営。日本鉱業副会長。大正4年12月20日死去。59歳。信濃(しなの)(長野県)出身。東京大学卒。名は正斉。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by