百科事典マイペディア 「足尾鉱毒事件」の意味・わかりやすい解説
足尾鉱毒事件【あしおこうどくじけん】
→関連項目足尾[町]|内村鑑三|木下尚江|鉱毒|島田三郎|日本社会党|花井卓蔵|福田英子|古河財閥|三宅雪嶺|渡良瀬遊水地
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日本の公害の原点。古河市兵衛経営の足尾銅山から流出した重金属を含む鉱滓や酸性廃水によって,渡良瀬(わたらせ)川の中・下流,利根川下流域の10万ヘクタールに及ぶ農地が鉱毒被害をうけた。被害農民は田中正造とともに明治政府に対して足尾銅山の操業停止を訴え,東京へ押し出し(大挙請願運動)を行うなど,強力な鉱毒反対運動を展開,大きな社会問題となった。政府は刑事弾圧を加える一方(川俣事件),日露戦争中に鉱毒問題を治水問題にすりかえて運動を分断し,1907年(明治40)遊水池設置のため谷中(やなか)村民の家屋を強制破壊した。今も足尾には,約2000ヘクタールの禿げ山,旧谷中村(現,栃木市)周辺に3000ヘクタールもの湿地帯が広がり,鉱毒事件の生き証人となっている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…足尾,別子,日立,小坂の鉱山・製錬所の公害事件や,硫酸工場の煙害に対して農民が訴訟を起こした大阪アルカリ公害裁判が有名である。足尾鉱山の足尾鉱毒事件は,銅製錬後の鉱滓が洪水のたびに大量に流出し,下流の農民の健康や農作物に被害を与えた事件で,のちのイタイイタイ病事件と同じ性格のものである。古河財閥と政府は,被害農民の反対運動を権力によって弾圧した。…
…当時の製銅業は,日本資本主義の確立の過程で,茶,生糸などの初期特産物輸出から綿紡績品などの工業製品輸出への転換をつないだもっとも重要な輸出品製造業であり,近代的軍備や技術移植のための財源として国家的な保護のもとに大規模な生産拡大を行い,農業を犠牲にして成長した。 最初の大規模な対決となった足尾銅山における足尾鉱毒事件は,1890年の渡良瀬川の大洪水で銅製錬後の鉱滓が大量に流出したことによって顕著となった農作物などの被害をめぐるものであり,農民側は〈押出し〉と呼ばれた大挙上京請願戦術などをとった。しかし,1900年2月,押出しの途中で農民の指導者が多数逮捕されるという川俣事件が起こり,農民の声は押さえ込まれてしまった。…
…99年農学博士,1900年に帰国し,東京帝国大学農科大学教授となる。足尾鉱毒事件の発生初期において,鉱毒被害農民の依頼により,同僚の長岡宗好とともに1890年初めて被害原因を科学的に分析し,河水中から銅の化合物を検出した(結果は1892年〈足尾銅山鉱毒研究〉として《農学会会報》16号に発表)。92年清水紫琴と結婚する。…
…《田中正造全集》がある(全17巻,別巻1)。足尾鉱毒事件【菅井 益郎】。…
…土壌汚染とは,鉱山や工場などから排出された重金属などによって,あるいは農薬散布などによって,土壌中に重金属などの特定の物質が高い濃度で集積,蓄積し,その結果,人の健康や農・畜産物などに被害が生ずることをいう。日本における土壌汚染の歴史は古く,明治初期に足尾銅山の銅などを含有する排水が渡良瀬川流域の農地を汚染し,農作物などの被害が発生していた(足尾鉱毒事件)。しかし,土壌汚染が公害の一種であると法律で規定されるようになったのは,1968年に,厚生省が〈富山県の神通川流域に発生しているイタイイタイ病は,同河川の上流にある三井金属鉱業の神岡鉱山から排出されたカドミウムが水田土壌を汚染し,そこで生産された米を長期間にわたり摂取したことが主原因である〉との見解を発表した後である。…
※「足尾鉱毒事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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