堂谷村(読み)どうだにむら

日本歴史地名大系 「堂谷村」の解説

堂谷村
どうだにむら

[現在地名]山東町堂谷

長岡(ながおか)村の南西に位置し、東部は山地(岩曾山)、山際に集落があり、西に平地が開ける。天文元年(一五三二)六月五日の京極加州書状(長岡区有文書)に、同年於方(おかた)井を完成させた三ヵ村のうちとして「堂谷村」がみえ、佐々木黒田伊予守が領していた。江戸時代を通じて於方井から取水。天正一九年(一五九一)四月の御蔵入目録(林文書)に「長岡之内堂谷村」とみえ高三九八石余、豊臣秀吉の蔵入地。慶長検地では高四三〇石余(「正徳三年郷村高付帳」中村文書)。寛永石高帳・正保郷帳では幕府領。


堂谷村
どうやつむら

[現在地名]袖ケ浦市堂谷

横田(よこた)村の南東、小櫃(おびつ)川右岸に位置する。正保国絵図に村名がみえ、高四八石。元禄郷帳でも同高。寛文四年(一六六四)には高岡藩領があった(寛文朱印留)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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