日本歴史地名大系 「堺町一丁目・堺町二丁目」の解説 堺町一丁目・堺町二丁目さかいまちいつちようめ・さかいまちにちようめ 広島県:広島市中区堺町一丁目・堺町二丁目[現在地名]中区堺町一丁目山陽道沿いの町で、東は塚本(つかもと)町、西は堺町三丁目に続く。北は猫屋(ねこや)町。広瀬組に属した。堺町二丁目よりは北に雲石路が分岐するが、この雲石路は沼田(ぬまた)郡(現安佐南区)・高宮(たかみや)郡(現安佐北区)の村々を経て三次(みよし)を通り、山陰に抜ける道で、途中可部(かべ)宿(現安佐北区)北方より石見浜田路や、山県郡に抜ける庄原往還が分岐する。城下経由の山陽道とともに寛永一〇年(一六三三)より整備された。堺町の名は広島城下町割のとき、和泉の堺(現大阪府堺市)より来住した境屋某が居住したことから境屋(さかいや)町と名付けられたのに始まるともいい(知新集)、元和五年広島城下絵図ではのちの一・二丁目付近に「堺町四町」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by