塩冶町(読み)えんやまち

日本歴史地名大系 「塩冶町」の解説

塩冶町
えんやまち

[現在地名]出雲市塩冶町

下塩冶村のうちにあり、中世には守護職塩冶氏の城下町として、下塩冶村の中央部の弓原ゆみはら辺りに市場が栄えた。「雲陽誌」に「八幡の神弓を納し所なり、故に弓の形に町屋を造弓原町といふ、毎月市を立売買せり」と記す。宝暦四年(一七五四)の神門郡北方万指出帳(比布智神社文書)に町の長さ二二六間二尺、棟数六三軒、竈数八七、人数三七九と記す。北隣の今市いまいち町が殷盛を加えるに従って衰微した。明治九年(一八七六)の塩冶町絵図(出雲市役所所蔵)によれば、弓原地区は道路幅員が周辺の二倍以上ある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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