塩名田宿(読み)しおなだじゆく

日本歴史地名大系 「塩名田宿」の解説

塩名田宿
しおなだじゆく

[現在地名]浅科村塩名田

慶長年中(一五九六―一六一五)中山道の整備にあたり、「千曲川前駅なくては御用御差支につき」北方岩下いわした辺りにあった家居を現位置に移して成立した宿で、当初の伝馬屋敷は四一戸という(「後見種」丸山憲一氏蔵)

町並東西四町二八間。東端枡形はなく、西端は大きく曲がって枡形をなし千曲川畔の橋場に下る。天保年中(一八三〇―四四)における宿の概況は家数一一六、人別五七四人、うち男二九三人、女二八一人、本陣二、脇本陣一、旅籠屋七(中山道宿村大概帳)で、月の前後を分けて勤める問屋二軒のもとで、伝馬屋敷はもちろん野屋敷からも歩行人足を出して継立てを行ったが、宿としての地子免許はなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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