塩城山城跡(読み)しおきやまじようあと

日本歴史地名大系 「塩城山城跡」の解説

塩城山城跡
しおきやまじようあと

[現在地名]新見市上熊谷

熊谷くまたに川と西谷にしたに川の合流地点の西側、塩城山頂(五八七メートル)にある。氾濫原からの比高は約三〇〇メートル。塩山しおやま城・塩ヶ城・うしお城ともよぶ。城跡は等高線五八〇メートルラインに沿い、全長八〇メートル、幅二〇メートルに収まり、軸線を北西から南東にとって三段の郭面がみられる。

中世多治部たじべ郷を本拠とした多治部氏の城。多治部氏は、当城を拠点として、備中北部に勢力を扶植しようとした在地領主であり、地頭とも国人とも称せられた。元暦元年(一一八四)に平家方として多治部太郎が登場する(「源平盛衰記」巻三六)。南北朝内乱期には足利方として活躍した(「太平記」巻一六)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む