日本歴史地名大系 「塩城山城跡」の解説 塩城山城跡しおきやまじようあと 岡山県:新見市上熊谷村塩城山城跡[現在地名]新見市上熊谷熊谷(くまたに)川と西谷(にしたに)川の合流地点の西側、塩城山頂(五八七メートル)にある。氾濫原からの比高は約三〇〇メートル。塩山(しおやま)城・塩ヶ城・潮(うしお)城ともよぶ。城跡は等高線五八〇メートルラインに沿い、全長八〇メートル、幅二〇メートルに収まり、軸線を北西から南東にとって三段の郭面がみられる。中世多治部(たじべ)郷を本拠とした多治部氏の城。多治部氏は、当城を拠点として、備中北部に勢力を扶植しようとした在地領主であり、地頭とも国人とも称せられた。元暦元年(一一八四)に平家方として多治部太郎が登場する(「源平盛衰記」巻三六)。南北朝内乱期には足利方として活躍した(「太平記」巻一六)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by