デジタル大辞泉
「新見市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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新見市
にいみし
面積:三五二・八〇平方キロ
県の北西端近くに位置し、南北に細長い市域をもつ。北は鳥取県、東は阿哲郡大佐町・上房郡北房町、南は高梁市、西は阿哲郡神郷町・哲多町と接し、北部の千屋に源をもつ高梁川が、新見盆地など市域やや西寄りの小盆地を貫いて南流する。北部は中国山地南斜面に立地、南部の吉備高原にはカルスト地形がよく発達し、阿哲台がその典型を示す。主要交通網のうち鉄道はJR伯備・姫新の二線が通り新見駅で結合、国道は一八〇号・一八二号が通る。また中国自動車道の新見インターチェンジがあり、神戸・大阪方面との結び付きが強まっている。
市成立前は阿哲郡、同郡成立前は高梁川右岸は哲多郡、左岸は阿賀郡(古くは英賀郡)に属した。市名は近世新見藩陣屋の置かれていた新見村に由縁するが、さらにさかのぼれば中世の新見庄、古代の哲多郡新見郷(和名抄)に関連する。
〔原始・古代〕
縄文時代の遺跡には青地遺跡・宇山洞穴遺跡などがある。弥生時代の遺跡は上野町遺跡など十数ヵ所が発見されているが、後期から古墳時代初期にかけて継続的に営まれた埋葬遺跡横見墳墓群が特記される。同遺跡は初期の群集した土壙墓群から、台状の墓域をもつ土壙墓群、台状の墓域を踏襲してその上に築かれた古墳時代の台状の小方墳と、時代を追って変化した埋葬の形態を示す重要な遺跡である。古代哲多郡には六郷、英賀郡にも六郷があり(和名抄)、哲多郡の石蟹・新見、英賀郡の林・丹部の四郷が市域に比定される。式内社は英賀郡二座の一、比売坂鐘乳穴神社が豊永赤馬の日
坂鐘乳穴神社に比定される。同社はカルスト台地である豊永台地に立地し、鍾乳洞である秘坂鐘乳穴を神体として奉祭された神社と考えられている。近くに神亀四年(七二七)行基開創、大同二年(八〇七)弘法大師中興と伝える高野山真言宗の三尾寺がある。同寺の縁起では中興の際、山門の鎮守として日
坂鐘乳穴神社を創祀したという。
〔中世〕
現在の市域西部から神郷町北部にかけて新見庄が成立したほか、公領として古代郷の系譜を引くとみられる石蟹郷・多治部郷ほかに村社郷・草間郷などがあった。新見庄は在地の有力者大中臣遠正が開発、平安末期に小槻家に寄進された。その後、皇室領、さらに京都東寺(教王護国寺)領として推移する。同庄を本拠地として活躍する在地武士新見氏は、治部丞資満が承久の乱の勲功の賞として、貞応元年(一二二二)同庄地頭に補任されて入部したという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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新見〔市〕
にいみ
岡山県北西部,高梁川上流域の新見盆地を中心に,中国山地から吉備高原にまたがる広大な市。北は鳥取県,西は広島県に接する。 1954年新美町,上市町の2町と美穀 (みよし) 村,石蟹郷 (いしがさと) 村,草間村,豊永村,熊谷村,菅生村の6村が合体して市制。 1955年千屋村を編入。 2005年大佐町,哲多町,哲西町,神郷町と合体。市域のほとんどが山地で,石灰石の埋蔵が多い。中心市街地の新見は,中世には京都東寺の荘園 (新見庄) のあったところで,近世には関氏1万 8000石の城下町,高梁川の遡航上限にあたる河港であった。東部の刑部は山陽と山陰を結ぶ街道の宿場町,西部の哲西は江戸時代は物資の集散地であった。 1928年の国鉄伯備線開通後,セメント工場が立地。また石灰,炭酸カルシウム製造の工場が多い。北部の千屋は近世砂鉄製錬 (たたら製鉄) の中心地の一つ。山間部や丘陵地では緩斜面を利用した和牛飼育が盛ん。また林業,米,シイタケの栽培が行なわれ,哲西では中国グリを特産。南部の阿哲台には石灰岩特有のカルスト地形が発達,草間の間欠冷泉,巨大石柱の羅生門があり,ともに国の天然記念物に指定されている。また近隣の井倉峡には井倉洞などの鍾乳洞 (→石灰洞 ) が多い。南西部の荒戸山南西麓には国の天然記念物の鯉ヶ窪湿性植物群落がある。市域の一部は備作山地県立自然公園に属する。高梁川水系には多目的ダムの小阪部川ダム,河本ダムがあり,1998年には千屋ダムが完成した。備中神楽は国の重要無形民俗文化財。 JR伯備線,姫新線,芸備線,国道 180号線,182号線,中国縦貫自動車道などが交差する交通の要地。面積 793.29km2。人口 2万8079(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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