山梨県北東部にあった旧市名(塩山市)。現在は甲州(こうしゅう)市の北部を占める。1954年(昭和29)塩山町が、奥野田(おくのだ)、玉宮(たまみや)、神金(かみかね)、大藤(おおふじ)、松里(まつさと)の5村を編入して、市制施行。2005年(平成17)東山梨郡勝沼町(かつぬまちょう)、大和村(やまとむら)と合併して甲州市となる。大部分が農村で占められる田園都市。旧塩山町は甲府盆地の北東隅に位置し、古くから青梅(おうめ)街道の通ずる交通の要路であったが、1903年(明治36)中央本線の開通によって地方中心地となった。第二次世界大戦前は周辺の養蚕地帯の中心として繭取引市場が開かれ、遠く秩父(ちちぶ)地方からも峠越えに笛吹(ふえふき)川を下って繭が集荷されたこともある。現在は養蚕にかわってモモ、ブドウ栽培が盛んで、旧市域の農地の90%弱が果樹園である。また、山間部のコンニャク、松里の枯露柿(ころがき)(干し柿)は特産品。工業は製材、石材業、ぶどう酒醸造業など。名所には武田氏ゆかりの恵林寺(えりんじ)、市街地に接して箏(そう)曲「千鳥(ちどり)の曲」(塩の山差出の磯(さしでのいそ)にすむ千鳥……)の由来といわれる塩ノ山(553メートル)、その山麓(さんろく)の向嶽(こうがく)寺などがあり、また大菩薩嶺(だいぼさつれい)、大菩薩峠、笠取(かさとり)山、一之瀬高原など秩父多摩甲斐(ちちぶたまかい)国立公園の玄関口ともなっている。そのほか、旧高野家住宅(甘草屋敷(かんぞうやしき))、雲峰寺(うんぽうじ)(本堂など)、放光寺(ほうこうじ)(木造大日如来坐像(にょらいざぞう)など)は国の重要文化財に指定されている。また、塩山温泉、嵯峨塩(さがしお)温泉もある。
[横田忠夫]
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743年(天平15)の墾田永年私財法が出るころから,寺院の資財帳などに塩山(焼塩山,取塩木山,山)40町歩ないし250町などという記載がみられる。その山とともに塩浜または塩釜の所有を表示したものもあり,塩山とは製塩燃料を伐採する山林をさすものといえる。こうした記載が現れるのは寺院経済の進展による塩需要の増大のため,寺院みずから製塩地を所有することとなったのを示していると思われる。ではなぜその表現に塩浜よりも塩山を主としたのか。これは採鹹(さいかん)技術が幼稚で,海水直煮はもちろん,発生当初の塩浜あるいは塩尻法の段階では,採取鹹水が稀薄で燃料の消耗が多く,採鹹地場よりも燃料山のほうが重要であったからである。あるいは燃料山を塩民に利用させ,地子塩を収納するほうが得策でもあったろう。ちなみに最も発達した近世入浜塩田においても,生産コスト中の燃料費は50%であり,1haの塩田に対して75町歩の山林が必要であったと推計されている。
執筆者:広山 尭道
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…人口2万7117(1995)。市名は市街地の北に接する塩山(しおのやま)(554m)に由来する。中心市街は重川の扇状地上にあり,古くから青梅街道の通じる交通の要路にあたっていたが,1903年中央線の開通によって地方中心地に発展,第2次世界大戦前までは周辺の養蚕地帯の中心として繭取引市場が開かれた。…
※「塩山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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