塩津街道
しおつかいどう
琵琶湖北岸の塩津湊と越前国敦賀を結ぶ。海津(現高島郡マキノ町)と敦賀を結ぶ七里半越に対して五里半越とも称し、畿内と北陸を結ぶ最短路として重要な交通路であった。塩津湊から塩津川東岸沿いに北上し、沓掛村で越前国境野坂山地の深坂峠を越えて追分村(現福井県敦賀市)へ出る深坂越が古代以来用いられた。深坂越の山を古くは塩津山と称した。「万葉集」巻三笠朝臣金村の歌に「塩津山うち越え行けば我が乗れる馬そ爪づく家恋ふらしも」とみえ、長徳二年(九九六)九月紫式部は父藤原為時とともに越前へ下向した時「知りぬらむ往来にならす塩津山世に経る道はかろきものぞと」と詠んだ(紫式部集)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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